及ばざるは過ぎたるよりまされり

「名言との対話」6月1日。徳川家康

  • 「 人の一生は重荷を背負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもえば不足なし。こころの望みおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の墓、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくることを知らざれば害其身にいたる。おのれをを責て人を背むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
    • 家康は1542年生まれで、没したのは1616年6月1日、75歳だった。豊臣秀吉は、1537年生まれで没は1598年で62歳。家康は秀吉より5つ下で、かつ13年長生きしたから、秀吉の死後18年間を生き抜いたことになる。この18年の時間の重さが、徳川幕府の成立につながったのである。
    • 関東平野をつくったのは徳川家康で、河川に手をつけて洪水から救った。家康は抜群のフィールドワーカーで鷹狩と称して関東を歩き、肥沃な関東平野を生み出した。
    • 「あたを報するに恩を以てする」。家康はこの古語を愛用した。武田は八王子千人同心に、毛利は浦賀の水軍に使った。家康は敵を活かす懐の深い人だった。そういう人がどこまでも大きくなる。
    • 私は「天下は一人の天下に非ず。天下は天下の天下なり」というような柄の大きな言葉も好きだが、「強敵がいなくなれば、こちらの力も弱くなる」というような人生訓も気に入っている。
    • 「およそ人は一生の内三段の変化がある。十七八歳の頃は、交わる友に依って悪しくなる。三十歳頃には物ごとに慢心生じ、老朽の物を軽侮する心が出る。四十歳になると物に退屈し述懐の心が出て悪しくなる。この三段に変わらぬ人をよき人とはいうのだ」。こういう家康は、自らを律することのできた人であった。
    • 過ぎたるは及ばざるがごとし、ではなく、「及ばざるは過ぎたるよりまされり」とは面白い。6歳から織田、今川の人質生活を送った苦労人家康の言葉には、それぞれ深い知恵と遠慮が込められている。