大学院授業:本日のテーマは「目からウロコの修士論文の書き方」講座

多摩キャンパスで学部の授業。
品川キャンパスで大学院の授業。

「名言との対話」6月3日。佐藤栄作

  • 「問題は何といっても一つ一つ対策をたてて実効あらしめる事、議論ではない」
    • 1901年(明治34年)3月27日 - 1975年(昭和50年)6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。内閣官房長官(第4代)、衆議院議員(11期)、郵政大臣(第3代)、電気通信大臣(第3代)、建設大臣(第7代)、北海道開発庁長官(第4・21・22代)、大蔵大臣(第64代)、通商産業大臣(第22代)、科学技術庁長官(第12・13代)、内閣総理大臣(第61・62・63代)などを歴任した。
    • 佐藤栄作は連続在任期間は1964年から1972年まで歴代総理中最長の7年8ヶ月という長期政権だった。私の大学時代までずっとこの総理だったし、在任当時はあまり評判のいい人ではなかったのでいい印象は持っていなかった。24年間の日記40冊が6巻の書物になっている。この中の第三次内閣を組織した1970年と1971年の二年分を読んだ。69歳から70歳という年齢で総理大臣のときの日常が淡々と記されている。印象を変えた。
    • 定期的な健康診断の結果の記述、「大臣病患者の訪問にはほんとにあいそがつきる」というような慨嘆、少ないが愚痴のような言葉、事件や法案に対する感想、人物譚、そして友人・知人たちとの交流の基礎になっている会合の記述、デノミ要請などの政治案件、日航よど号事件、朝日新聞への攻撃、ファンである司馬遼太郎坂の上の雲」などの読書、都知事選、陛下への内奏、三島由紀夫事件、沖縄本土復帰や繊維交渉に関する断続的な記述など、実に興味深い。
    • 「中曽根君がはりきりすぎて波紋、、」「田中幹事長のおしゃべりには閉口、、電話で叱る」、「叱りおいた」「注意事項を話する」「後継者が三木君以外に育つかどうか問題」「此の天この人の欠点か」「説得して帰す」「田中幹事長に注意する。走りすぎにブレーキ」「いずれ時期が解決するものと思ふ」「油断大敵。いつでもこの言葉を忘れてはならない」「油断なき様と余計の事だが注意する」「親類は出来るだけ顔を合す様に努力しないと遠のくものと思ふ」「大臣へ自己推薦したので叱りおく」「選挙後の人事が一つのねらいか」「「やや自慢でもある」「数はいるが人はいない」「この評価は後世史家の評価に待つ」、、。やはり「人事の佐藤」と言われたことが納得できる。
    • 冒頭の言葉には共感する。「議論をしましょう」という人が多いが、それではだめだ。私の職場でも「議論より対策」ということをスローガンにして改革を進めてきている。問題を見つけ、原因をさぐり当て、一つずつ有効な対策を打ち、新らしい平衡状態をつくりだす。次の問題が起これば解決し次の高い平衡状態にたどり着く。平凡だが、このスパイラルを切らさないことが組織の成長の源である。