多摩キャンパス
午前

  • フットサルの授業を見ている杉田先生を発見し、一緒に座って解説を聞きながら、情報交換。
  • ビジネスコミュニケーションの8回目の授業。本日のテーマは「図解文章法」。アンケートを読むと「スラスラ書けた」という反応が多い。

午後

  • T-Sruddioで橘川先生と「トレンドウオッチャー−−時代の波がしら」の収録。今回は、メディアの変貌から日記文化とブログ隆盛、俳句のグローバル化視覚障害者の俳句の新しい展開など、面白い対談になった。

品川キャンパス

  • 6月から多摩から福井さんが着任していた。元気でやって欲しい。
  • 野原さんと懇談
  • 瀧川課長と懇談
  • 院OBの荻阪さんから日経からの新著の説明を受ける。楽しみな本だ。
  • 授業は「修士論文の書き方」。以下、受講生のフェイスブックへの投稿。
    • 私は、文章を書くことに苦手意識を持っておりました。しかし、今回の講義で文章=内容✖︎表現という公式を習い、私がなぜ苦手意識を持っているのかが分かりました。それは、書きたい内容がしっかり固まっていないうちに、無理に書こうとしていたためでした。したがって、論文作成の際には内容を固めるために、図解を利用しながら進行したいと思いました。
    • 講義冒頭の振り返りでいただた物事のパターン化についてのコメントにハッとしました。疑いもなく当たり前のようにパターン化を行っていたことを振り返りました。周りと同じことをすることに意味があるかわからないのに、そうすることで意味のない安心感を得ていたのかもしれないです。また、本来のSWOT分析の姿や富士山とカムチャッカの間にある松島には軽い衝撃を受けました。いずれも型にはまらない自由な捉え方によって表現されています。これらはいずれも型にはまったものではなく物事を柔軟に捉えており、多角的な視点をもっているからこその結果だと思います。これは問題提起にも問題解決にも必要な要素であり、今日の講義のテーマの論文作成にも不可欠です。文章読本図解の文書化はスムーズに進みませんでした。皆さんはスラスラ書けたのに、私はなぜなんだろうと考えてみたところ、素直でなかったのでしょう。図解のコンテンツで捉えられたことをコンテンツごとに素直に文章にすることを繰り返せばよかったのに、それをしないうちにきれいにまとめようとしていました。自分の悪い癖なんだと思いますので、今回気づけたことは収穫です。やはり論文作成では設計図の出来が最終的な結果に影響しますね。コンテンツをどんな側面でとらえてまとめるかが第一の難関になりそうなので、それについて熟考し、しっかりとした設計図作りに注力します。
    • 図解は、文章を図で分解する技術だと思い込んでいました。図から文章を再生させる。こんな使い方もあるのですね。「図解文章術」はすべての要素を鳥の目で俯瞰しながら、文章を組み立てられるので、論点がブレないメリットがあり、出来た文章は伝わりやすいという特性があります。だからと言って、オリジナル性が薄いかというと、どの様な見方を加えるか個人のセンスで味付けが変わるという非常に面白い性質を持っている。いずれにしても自身の図解が進化したと思うと、師からはすかさず更に先の課題を提示される。逃げ水を追いかけるような気もするが、追い続けることが日々の進化を支える推進力!いつか免許皆伝となる日まで僕らは「図解道」を極めるため、進化し続けたいと思います。
    • 今回は図解から文章に落としてみてあらかじめ実感したことは表現のパターンが違っても内容のズレと漏れをしないことです、さらにそれぞれの要素を繋がり関係を示す接続詞も大事だと認識しました。最初は今回の図解が論文を書く際に目次の役目だ思いましたが実際はいかに漏れなく目次の構想を作れるか図解はかなり有効なツールだ思います、しっかり構想ができたら後は肉付きとなる内容を膨らせる作業です。
    • 文章読本の流れの図解を全部理解し、自分のものにすることができれば、どんな内容でもいい文章を書けるようになるんじゃないんですか。他人の描いた図を読めるのも一つのスキルなんですね。図解の中の矢印を正しく読み、内容の流れを正確に読めるのが大事だと思われます。これからの授業にもできるだけ図解をたくさん使い、図を描く技術を身につけていきたいです。そのため、描けるようになり次第、自分の描いた図を他人に読ませ、同じ内容ができているかどうかをチェックする方法も活かしたいです。異文化や国語の文法、文章に構成に従い、文章の長さや表現も違ってくる時も出ているような気がします。例えば、モンゴル語の一つ文章は長い方がいい文章になります。普通の会話でも長い文で話します。作文を書くたび、その違いを感じています。今回の授業では伝えたい事を短い文章にうまく映す必要性をもう一回改めて感じることができました。日本語のレベルをもう一段高め、接続詞をはじめ、書く言葉も上手く使うようになる為頑張ります。
    • 今まで線が上手く引けなかったんですよね。遠かったり、絡み合ったり。配置が悪かったのでしょうね。それが文章に表れていたのでしょうね。実はコンテンツを揃えて満足していました。順番と接続詞は軽視していました。今日の学びは大きいものでした。
    • 文章を起こすプロセスにおいて図解がどういった役割を果たすかということを実体験できた。授業内でのことというものは何年か経てば忘れてしまうということも多々あるが、こういった形式の講義であれば継続力をもって興味関心を生涯持ち続けられるはずだ。昔、アップルのCEOが「カリグラフィーには数式でも芸術でも表せない魅力があった」と述懐していたことを思い出したが、まさに今回の講義こそ数式でも芸術でも表せない微妙なニュアンスの魅力があるではないか。また、失明しながらも精力的に執筆活動し続けた梅棹先生の話題が上がったのもかなり驚きをもった。「情報化社会」の概念は梅棹先生が世界でも先駆して作り上げた概念ではないだろうか?図解の分野は大きなうねりになって良い影響を与えるポテンシャルを今後も持つに違いない。編集工学にも与える影響は大きそうだ。
    • 図の持つ力を、改めて感じた日でした。世界共通言語である、「図」の持つエネルギーは、文で論ずる事も容易く凌駕する熱量を持っている。それぞれが描く構想を「図」として描くことから初めれば、自ずと文は付いてくるのですね。多くを語るより、先ず「図」にしてみる。迷路に入り混んでいた私には、救いの時間でした。
    • 本日は図解ではなく、逆に図を文章に落とすことを学びました。これで、1人で図解+執筆を完結できるようになりましたでしょうか。「文章読本の流れ」は、最初の書き出しに時間がかかりましたが、書き出すとどんどん長文になってしまって困りました。これは、まさにボリュームのある修士論文向きだと思います。また、なぜか私は手書きの「どうしたら幸福になれるか」の図の方が論文がスラスラ書けそうな気がしたため、ビジュアルも大事だと思いました。実際に自分が作成する時も、手書きにしようと考えが固まりました。かなり大変と聞いている修士論文が、ちょっと楽しみになっています。
    • 『文章=内容×表現』であり、文章の書き方に関する解説本は表現方法ばかりで、内容に深く言及した解説本がないという。それは内容については個々人で様々であり、総括して解説することができないからだ。しかし、そんな時こそ図解の出番。例えば、伝えたいことや考えていることを付箋紙に書けるだけ書いて、それらをグルーピングする。それらの塊の関係性を→で関連づけて、全体の構成を捉えると、即ち、図解だ。あとは、その図解(設計図)に従って、文章を書き下してゆけば良い。その段階になって初めて、表現における解説本のノウハウを活かせるというわけだ。なるほど!だが、大事なのは、その内容(修論テーマ)を何に定めるかということなのだが…(追伸)豊かさの図解。A ココロ精神的自由B カネ経済的自由C ヒマ時間的自由D カラダ肉体的自由☆ 自由の拡大。この図解、例えば転職を考えるとき、自分の豊かさがどう変化するかを、四次元で評価でき、道の選択に活かせるという。この幸せ尺度の評価に納得。
    • 今回の講座は、どこの誰より、舛添知事に聴かせたかったです。表層的な論理的整合性は、納得性より不信感を招くという、反面教師事例ですから。本日のは、『直観と論理』『主観と客観』を相互作用させるトレーニングであり難易度も伴いました。その分、『訴求力』『納得性』というメリットがあると言えます。久恒先生の経験談にあった様に、名うてのインテリ層も『何故か反論出来なくなる』という『訴求力ある論点』が浮上させることが、図解思考の醍醐味でもあります。ニヒリスト、ナルシスト・・強敵(つまり、錚々たる御教授陣)に対するには、杓子定規な論理よりも、『まあ、君の言う通りだろうな。不完全だけど、そうだな』と共感させるキーワードが必要でしよう。まさに、論文構築に求められる、創造的『仮説発見』を、納得性ある訴求力とするための原理だったかと思います。
    • 常々「図解の正解を見たい」と思っていたので、今日先生から提供されたお手本は大変ありがたかったです。これから極めていきたい図解ってこういうことか、とよくわかりました。しかし「「表現」が「内容」」という本日のテーマ設定に若干混乱しました。