大学院「インサイト・コミュニケーション」の授業のテーマは、日本文

本日の大学院「インサイト・コミュニケーション」の授業のテーマは、日本文化。


以下、受講生のフェイスブックへの書き込みから。
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  • 本日のお題は「浮世絵」日本の誇る「キング オブ カイガ」を図解せよ。と師匠はおっしゃる。「ヒストリー」「スキル」「ベーシック」「ワールド」というキーワードが浮かんできたので勇んで図解。なんの疑問もなく文章の順に無邪気に並べてしまいました。結果は、解説する際にすっきり流れない。図解は文章の流れ通りに図式化するのでは、力が半減する。キーワードの関係性を見通して、理が通るように図として再構築する。それが正しい図解と知りました。「図は相手の心に灯を燈す」師匠の教え通り、絡まった文章に出口を指し示す力、それが図解!迷いは図解に現れる。迷いを断ち切り明快に本質を指し示す、それが「図解道」ということを知りました。次回もまた真剣勝負!
  • 「新しい表現手段を持った人は、世界をすべて表現しようとする」とは久恒先生の今日のお言葉。白洲正子(敬称略)の茶道をあらわす美しい文章が図解によって茶道の本質世界に新たな変化をもたらした。茶道は、茶碗が中心なのだ。明日があるかもわからない戦国時代だからこそ生まれた文化。小さな宇宙、茶碗。武将が手に入れようとするのも、自分の生を表現する手段の一つだったに違いない。白洲正子の文体、生き方そのものが久恒先生の仰ることにリンクする。さて私は図解とともにどう世界のすべてを表現しようか。
  • 本日のテーマは「日本文化を探る」。私が選んだお題は「折り紙」。文章の中のキーワードをマルと矢印を掛け合わせて図解してみる。完成した図を見て、、、なんだかワクワクしない!!シンプル、言いたいことはわかる、でも面白くない!!仕事で使う図解は、simple is best で良いのかもしれないが「日本文化」というテーマであれば、遊びがあっても良かったのかも!?テーマに合わせた図解の遊び度合いの調整、これも今後の課題です。そういえば、本日のみなさんの図解、図と絵が混ざっている方が多かったように思いました。講義の中で「図解×マンガ」が最強の伝達ツール、というお話しがありましたが、活用先を考えたいです。
  • 今日は産みの苦しみを味わいました。「能」を選んだ時点で、ヤバいかな〜?そんな予感は見事的中。文中には時間の経過も無ければ、「能」その物の説明も無し。ある意味Wikiに記載のある様な文章を期待した私が愚かでした。文中には著者の主観による「能」の世界観と美の定義が有るのみ。現代の言葉で書かれた文章が般若心経に見えました。赤線を引こうにも、全てに引きたくなるほど、美しく且つ芳醇な香りを漂わせた言霊の連続。思い切り引き算をして図にしてみました。図解って、やっぱり楽しいですね!!
  • 今日は、「日本の文化を探る」というテーマで、様々な日本の文化に触れました。確かに、日本人なのに日本の文化を説明できない。そもそも、日本の文化の内容を詳しく理解できていないことを痛感しました。私は「落語」を担当しましたが、一人芸であることと扇子と手拭いの小道具以外のことは今日初めて知った次第です。図解は、非常に勉強になると再認識しました。図解を学び始めて、知識に加え度胸もついてきたと感じる今日この頃です。さて、それ以外ではマンガ文化に惹かれました。マンガはあまり良いイメージを持たれず、批判の対象になりがちです。そこで「マンガ」×「図解」は非常に威力を発揮するのではないかと思います。マンガはインテリである、という考え方も浸透しそうですね。日本文化の発展から目が離せません。
  • 他の人の図表を見ると、それぞれの個性が出て勉強になる。あとは、何を読み、図表としたのか。それぞれの情報源に差があるので、図表の形も変わり、また、相対的に象徴性も変わっていくと感じました。
  • お恥ずかしながら、日本人ですがこの文学書にはあまり関心がなく、物語の内容を詳しくは存じあげませんが、「源氏の恋愛物語」として記憶しておりました。今年流行の不倫を物語にしていると伝えれば簡単なのでしょうが、そうではなく男女の心理と苦悩を美的表現している物語です。本来、美的表現が容易な音楽・絵画・服飾や知的価値観とされる文学・政治論はあくまで男女の心理美学の背景的な飾り付けとして扱われているようです。そんな源氏の人間美学は当時に大衆にはスキャンダラスな目で見られており、現代で言うところの週刊誌のネタと同じような価値観でしかなかったのではないだろうか。よって本来あるべき姿と源氏への邪な目線が源氏物語を文学的物差しで測るのに時を要したのではないか。
  • 『日本文化を探る』をテーマに図解チャレンジ。様々な方の発表を聞くことで、分野ごとの教養が身につくと同時に【図解道】を極められるので、二度美味しいと感じています。答えがひとつに絞れない場合や抽象的な概念は、図にすることが困難。ただし、ビジネスで活用する場合には、答え(意志)や選択肢を明確に示す必要がある。そのような視点を意識しながら、【図解道】に精進してまいりたいと思います。
  • インプレスと語間のバランスなんですよね。出来る限りシンプルにするためにじっと文章を見つめる。文字が浮かんで見えると良い図が出来るのですが今日は浮かばなかった、悔しい。自分のテーマは俳句。言語の究極の充電とのこと、まさにその通り。5、7、5の間に無限の空間が作れれば良い俳句とのこと、図と一緒ですね。
  • 日本独特の文化とその裏にまつわる話は興味深い。図式化することでその抽象性になにかインスピレーションを得た気がする。今回の授業もまた以前の授業とは違って、図式の難易度が上がったようだ。それにつれて私たちの図式化の能力もあがっているはず。次回までに自分の持ちえたアイデアによる論文課題を最低限簡略に図式化したいと思うきっかけとなった。
  • 高野山曼荼羅は究極の図解!、図解は空海から始まった⁉︎という冒頭の盛り上がりは、今日の本題『日本文化の源流を探る』の締めまで続いた。歌舞伎、和歌、落語、茶道などなど、日本人は型が好きなのかもしれない。それにしても、能という論理を超越した世界を、○△□としめ縄で示した宇宙観は正に異能。禅の図解でも無と空という、似て非なるものの理解まで進み、一体、何の講義⁉︎と思う深みへ。とても有意義でした。私は、馬場あき子の『和歌』を図解しましたが、?和歌=短歌 なのか ?和歌={長歌+短歌}なのか、冒頭の文と末尾の文が非常に曖昧。?で図解を進めプレゼンするが、やはり?ではないかということに。『律』の解釈不足が原因だった。このことが示す重要な点は、文章は誤解を与える表現が起こりやすいが、図解は明解ゆえに誤解を与えないと言うことだ。益々、図解に魅せられた。
  • 図解が少しわからなくなりました。咀嚼しますので、現時点で感想は少なめにしておきます。日本の文化は素晴らしく、誇りに思うし大好きです。
  • 今日は非常に難しいテーマ【禅】を選びました。そもそも形で表現できないモノをいかに説明するか。言葉の曖昧さと勢いで何とかごまかせる部分ができますが図解にするとすぐ自分の内面的な浅さがバレてしまいました、特にキーワードの関係性(図解の基本)はいかに示すことさえできなかったです。今回で予め認識できたことは1.図解には曖昧さがない。2.その曖昧さをなくすためにバックグラウンドの関連知識が必要だ。自分の課題はこれから分かりやすい図解をするには人間の深さを鍛えるトレーニングをしなければなりません。浅い考えですがご共有させていただきます。
  • 発表の時にいただいた課題 「歌舞伎」の「伎」について調べました。訓読みで「わざ」とよみ、「(細かい)わざ」「うでまえ」であり、「芸人」、「芸者」をも示します。つまり歌舞伎は、技をもつ芸人が歌い語り踊り舞うものということになります。それまでの日本の高尚と思える文化芸能を集結した演劇を娯楽としていた江戸時代の町人の能芸・芸術感覚はどういったものだったのでしょうか。鈍感なのか敏感なのか... 我々現代人ももっと気軽に直感的に日本文化を楽しみ、未来につなげていきたいものです。

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「名言との対話」6月17日。松下竜一

  • 「だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ。」
    • 作家・松下竜一は、1937年に生まれ、2004年に亡くなった。私の出身高校の先輩にあたるが、成績は一番だった。しかし大学進学を母の急死であきらめ家業の豆腐屋を継いだ。その日々を文章と短歌で綴った「豆腐屋の四季」という本は話題になり、連続テレビドラマになった。このときの主役が同じ歳の緒方拳だ。顔が似ているこの名優の演技で「豆腐屋の四季」と松下竜一は世に知られることになった。「我が愛を告げんには未だ推さなきか君は鈴鳴る小鋏つかう」は妻の洋子さんに贈った歌だ。
    • 豆腐屋を廃業し33歳で作家となった。1973年から火力発電所建設への反対運動に取り組んだ。後に「ルイズ−−父に貰いし名は」で講談社ノンフィクション賞を受賞した。この人の書いた「疾風の人」で中津の増田宋太郎を描いたが、この小説を読んだことがある。2004年に亡くなったときには市をあげて偲ぶ会などが開催されて、遠方からも多くの作家などが駆けつけたと聞いている。40冊以上の本を書いて、生前に「松下竜一 その仕事」30巻が河出書房新社から出ている。松下さんのことはいろいりな人から聞いていたが、残念ながら会う機会はなかった。
    • ラジカルに、つまり根本から、文明のあり方を問うたこの松下竜一の言葉は重い。