リレー講座。
宮田律「宗教・民族・石油−−−中東イスラム紛争の構造」
- イスラム教は「正義」「平等」。(キリスト教は「神への愛」)
- ムハンマドは預言者(神の言葉を預かった人)。570年メッカ生まれ。610年神(唯一神アッラーの言葉を聞く。コーランは神の言葉を記したもの。
- イスラム教徒の義務:1:信仰告白。2:礼拝(5回)。3:喜捨(2.5%)。4:断食(ラマダン月)。5:巡礼(1回)。
- 生活習慣:豚を食べない。羊肉・牛肉は静脈を切り食べる。犬は不浄。酒は飲まない(神を忘れる)。利子は取らない(経済格差を生む)。ギャンブル禁止。女性はベール着用(身体・髪を見せない)。
- スンニ派(多数派):最高指導者イマームは選ばれた人でよい。シーア派(少数派):最高指導者は血筋重視。イランのみシーア派優勢。
- 民族は言葉で分類される。アラブ(アラビア語)。トルコ(ウラルアルタイ語)。イラン(ペルシャ語)。
- イスラム教徒は世界160億人。2030年医は世界の三分の一はイスラム教徒に。
- 欧米のムスリム:若手失業率が高い。24才以下28%。25才以上11%。
- サウジアラビアのムハンマド副皇太子はタカ派的傾向。イエメンを空爆など。
- イスラム世界は親日国が多い。日本に対する評価は高い。科学・テクノロジー、経済発展、家電、自動車、ポップカルチャー、礼儀正しさ、、。
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「名言との対話」6月23日。荻野吟子。
- 「人と同じような生活や心を求めて、人々と違うことを成し遂げられるわけはない。これでいいのだ。」
- 。1851年生まれ、!913年永眠。享年63歳。日本初の女医として有名な人である。この人の人生はまことに凄まじい。6月23日、永眠。
- 18歳、稲村貫一郎と結婚。両宜塾で松本萬年に学ぶ。(貫一郎は若くして名主に。埼玉県議会副議長。実業家としても大成)。19歳、夫から淋病を移され離婚し、大学東校付属病院に入院。子供を産めない体に。診察の羞恥屈辱感から、女性が女性を診るべきだと、女医を目指す決心をする。24歳、東京女子師範学校(お茶の水女子大)第一期生として入学、卒業。28歳、私立医学校の好寿院に入学、31歳で卒業。男装して受講。抜群の成績。31歳、医術開業試験嘆願書を、東京府、東京都、埼玉県に提出する。女性には認められないとしていずれも却下される。33歳、ようやく受験が許され前期試験に合格、翌年後期試験合格。女医第一号。ようやく鉄の扉が開く。35歳、本郷湯島に医院を開業。産婦人科。本郷教会で海老名弾正から洗礼。東京婦人矯風会に参加、後に風俗部長。36歳、大日本婦人衛生会に参画。翌々年明治女学校教師校医。舎監。40歳、熊本県の志方之善27歳と結婚。同志社の学生。「志方と一緒に神の道を進みます」45歳、北海道での夫のキリスト教理想郷建設に協力。トミを養女に。46歳、医院を開業。淑徳婦人会会長。婦人解放運動に先駆。54歳、夫病死。57歳、北海道を引き揚げ、東京都向島に医院を開業。(北海道瀬棚町に記念館)。吉岡弥生は医院にも足を運び吟子の影響を強く受けた。63歳、永眠。
- 「女医になる。きっと女医になってやる。きっとなる。きっとなってみかえしてやる」
- 「学問というものが単に知るということではなく、疑うということから始まることを知った」
- 「女性の地位を認めているのは耶蘇教だけです。耶蘇教を拡めることは女性の地位を高めることになるはずです」
- 「人とその友のために 己の命を 捨つるは是れより 大なる愛はなし」
- 東京女子医大創設の吉岡弥生、日本女子大の開学に功績のあった広岡浅子と、明治の女子教育の先駆者の先達が荻野吟子だ。埼玉県熊谷市俵瀬の荻野吟子記念館でじっくりと人生を眺めると、苦労の連続の激しい一生に頭がさがる。人と違うことを成そうとするからには、人と同じ安穏な生活を望んではならない。これでいいのだときっぱりと言う荻野吟子は志の女性だ。