嵐山光三郎「追悼の達人」(新潮社)を読了。
- 作者: 嵐山光三郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/01/22
- メディア: 文庫
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嵐山は5年間にわたって作家の追悼文ばかり読んできたと「あとがき」で述懐する。
こういうテーマの本は見たことがない。実に面白かった。
追悼にはナマの感情が出る。依頼されるのは突然であるから、準備も無く一気に書き上げるから、油断するのである。そして追悼は思い入れが入るし、後世に文献として残るとは思わないから、本心が出るのである。
世間に認められるのが、死後のことがよくある。友人が絶賛したり(草野心平が宮沢賢治を世に出した)、後に全集がでたり(石川啄木)、そういうことがキッカケとなって、有名になることがある。意外なのは、鴎外の小説は存命中は売れなかったようで、売れたのは死後に著作集が出てからであった。谷崎潤一郎が大谷崎と言われるのは死の翌年から全集が刊行されてからだ。
文士はうまい追悼文を書く。演出家は偉そうな追悼文を書く。興行主は如才のない追悼文を書く。旧友は若き日を語る追悼文を書く。役者は追悼文を書くのに苦労する。
若く死んだ天才は、その時代の大物からの追悼を得ることができる。
死んでから人気が出る作家には優秀な弟子達がそろっていて、一斉に美しいエピソードで飾ってくれる。漱石はその最たる人であり、弟子がいなかったのは田山花袋だった。
岡本かの子は、一平と太郎によって美化され、伝説化した。
人気のあった漱石への追悼句は500余句あった。
与謝野晶子は妻を亡くした有島武郎に言い寄った。
芥川の自殺は作家達へ追悼という宿題を残した。
若山牧水は全盛時は一日二升五合の酒を飲んだ。
女にもてすぎた男はさげすまれる。
歌詠みは追悼歌を詠む。弔電で故人を偲ぶのが礼儀だった。
泉鏡花への追悼文はだれが書いても文学作品になっている。
嫌われ者は長生きすると、斬られることが少なくなる。
著名な文化人が死ぬと、国会本会議で追悼演説がなされていた。福沢と逍遥。
情死、虐殺の場合は追悼文は難しい。
有名人の多くは青山斎場だ。
「名言との対話」6月30日。小倉昌男。
- 「論理的な思考とは、物事をシンプルに考えることにほかならない。シンプルな論理思考を心がけることだ。物事をできるだけ単純に考えることが、真の目的に到達する近道なのである。」
- 昭和・平成時代の実業家。宅急便の生みの親。1924年生。2005年6月30日没。85才。
- 「宅急便を考えたとき、単なる一企業の事業ではなく、社会的なインフラになるし、そうしたいと思っていた。思い上がったことだったかもしれないが、それは私の志だった。」
- 小倉は昌男は、「何でだろう」から、仕事は始まるとも言っている。現状に疑問を持って、解決策を考える。お客様の視点から、シンプルに、単純に、考えていく。それが実は論理的に考えることなのだ。シンプルなビジネスモデルこそ、成功への王道なのだ。
新宿。
あの出版の鶴田さん、図解アルチザンの利根川さん。
インタビューと写真撮影。次の企画の相談。