久恒啓一の「名言との対話」の第6回は、「阿久悠」。

多摩大T-Studioのインターネット放送局。
久恒啓一の「名言との対話」の第6回は、「阿久悠」を取り上げた。
http://www.tama.ac.jp/t-studio/hisatune/index.html
「続けることがなぜ大切なのかというよ、続けることによって違う方法論を編み出さなければ続かなくなってくるということなんです。」

「名言との対話」7月5日。福田赳夫

  • 「総理・総裁は推されてなるもので、手練手管の限りを尽くしてかき分けてなるものではない。 いずれ近い将来日本国がこの福田赳夫を必要とするときがなからずやってくる。」
    • 福田赳夫(1905〜1995)は、政治家。群馬県生まれ。東大卒。大蔵省主計局長を経て政界入り。蔵相・外相などを歴任し1976年(昭和51)に首相。 1995年7月5日、90才で没。
    • 福田赳夫と同じ1905年生まれは、片岡球子、大河内一男、田辺茂一阿部定臼井吉見サルトル入江相政水谷八重子円地文子平林たい子入江泰吉、浪越徳次郎、島田正吾、、、。
    • 書架に100冊以上の小さなノートが並んでいた。政治家になってからの折々のメモの集積である。その福田メモをが日経新聞の「私の履歴書」の骨格になった。
    • 福田は造語の名人だったように記憶している。「総理でなくても仕事はできる」。「昭和元禄」。「日本経済は全治3年の重傷症」。「福田ドクトリン」。「視界ゼロ」。「狂乱物価」。「日々是反省」。「 さあ働こう内閣」。「身を殺して以て仁を為す。是上州人。」。「明治三十八歳」。「掃除大臣」。
    • 冒頭の言葉は、自民党総裁選で田中角栄に破れた時の言葉である。天命観と自負心が垣間見える。その後、三木武夫の後を受けて1976年に71才で総理に就任する。そして田中派が支持する大平正芳に敗れた時には、「民の声は天の声というが、天の声にも変な声もたまにはあるな、と、こう思いますね。」とも語っている。味のある発言が多い政治家だった。