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「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」

「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」(三田完:文藝春秋)を読了。

不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

日本が生んだ最高の作詞家・阿久悠(1937年生まれ。享年70歳)が1981年1月1日から22007年まで26年7ヶ月にわたって毎日書いた、あるいは編集した日記をすべて読んだ筆者は、阿久悠をマネジメントするオフィス・トゥー・ワンで亡くなるまで15年間そばにいた人だ。
今日は、「日記」という観点からのメモ。

  • 一日一ページ。身辺雑記、仕事のメモ、ニュース、本や新聞の情報、アイデア箴言。一日一時間。サインペン。
  • 世界情勢から国内の事件、スポーツの結果から記憶に残る言葉、自分の考えと行動を同格で書くというスタイル
  • 永井荷風山田風太郎古川ロッパ、、。
  • 鴨下信一「面白すぎる日記たち」(文春新書)
  • 百メートル競走のテープがゴールだと思っている選手と、3メートル先がゴールだと信じてつき進む選手では、勢いが違う。千分の一秒速い。
  • 「涼しい顔の時代」イチローとか野茂とか、遠くから見ると涼しげ、アップで見ると汗みどろ。
  • 鳥獣戯画」600枚、年末〆切。これで絶対に直木賞をとる!
  • 「なんともしめっぽい文士雰囲気たちこめ、小説は書くも、小説家になるべきでないと思う。音楽、放送界は「」まだVIVID。負けるわけがない。」
  • 「母は学歴はないし 教養もなかったが 常識はあった」
  • 「夢は砕けて 夢と知り 愛は破れて 愛と知り 時は流れて 時と知り 友は別れて 友と知る」

明治大学文学部の卒業論文和泉式部」の指導教授は柴生田稔だったことに驚いた。柴生田は斎藤茂吉の高弟。私の日航時代の上司は柴生田稔の長男だった。つまり阿久悠斉藤茂吉の孫弟子でもあったのだ。

私のこのブログ日誌「今日も生涯の一日なり」は、ほぼ12年書き続けている。阿久悠の記録に追いつくには後14年以上の歳月が必要だ。
阿久悠日記は計算すると9700日ほどになる。それでは私は3メート先の1万日を目指すことにしようか。
「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬となす」(宮本武蔵
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「名言との対話」8月14日。五島慶太

  • 「ものごとはすべて大きく考えること。おじけづいていては成功しない。」
    • 五島慶太(1882年−1959年)。日本の経営者、官僚。東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者。長野県出身。東京高等師範学校、東京帝国大学法学部を卒業後、農商務省と鉄道院で約9年間官僚として活動。その後退官し、武蔵電気鉄道専務、目黒蒲田電鉄専務、東京高速鉄道常務などを経たのち、東京横浜電鉄目黒蒲田電鉄の社長となって実質的な経営権を獲得し、2社を合併し東京急行電鉄を発足させた。強引な事業手法から「強盗慶太」と呼ばれた。鉄道事業で優れた経営を行い同社を急成長させた。そのほか、運輸通信大臣、学校法人五島育英会理事長などを務めた。
    • 「金儲けは易しいが、経営とは違う。世のためになって利益を上げるのが経営。だから経営は難しい。」
    • 「若いころから自分の心にかなった事業を興してこれを育て上げ、年老いてその成果を楽しむことのできる実業界に比較すれば、いかにもつまらないものだ。これが十年近い官吏生活を経験した私の結論であった。」
    • 五島慶太が集めた美術品を展示する五島美術館。2105年に開館55周年特別展を見にいったことがある。1960年に開館ということは五島がなくなった翌年だから、亡くなる前から十分な準備をしていたのだろう。官吏の生活を経験し否定し、実業の分野に進んだ五島の果実の一つが美術館だった。小さく、細かく、慎重に企画を練ってはいけない、ということを五島は語っているのだと思う。大きく発想し、大胆に歩もう。それが成功への道である。

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今日の収穫。リオ・オリンピック。

  • 内村航平「この8年間で僕が個人総合のレベルを引き上げた。体操の進化にすごく貢献できている。」
  • 井上康生「全階級金メダルを目指す」「最強かつ最高の選手を育てる」