「中東 エネルギー 地政学」−−日本の進路

先日、山梨県の昇仙峡を訪ねた。
昇仙峡にある影絵の森美術館を発見した。

藤城清治は1948年に花森安治から「暮らしの手帖」に影絵の連載を依頼されのがデビューとなった。
この美術館は1992年に開館。まだ藤城が有名ではない時期なので名前がついていない。那須高原に2012年には名前を冠した美術館がようやくできた。

山下清の企画展。

  • 旅先ではスケッチはしない。帰って記憶をもとに描いた。
  • 43歳から東海道五十三次の取材を始めた。49歳で没。

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寺島実郎「中東 エネルギー 地政学」のブログ第二弾。

寺島さんはその時々の時点でよく考え抜かれた論考を発表する。
その特徴は、問題の本質を吟味した上で、必ず解決の方向と具体策を提示することだ。
アメリカ大統領選などもずっとウオッチしており、まだどうなるかわからない時点で、例えばビル・クリントン大統領の出現を予想していた。だから彼の本に雑誌論文を収録するときに、そのまま修正を加えずに掲載するという離れ業ができることは驚くべきことだ。歴史の文脈の中で、対象の本質に迫っているから、彼の論考は迫力が違うし、見通しは正しいのだ。

例えば、この本で言えば、2003年4月号の「世界」にイラク戦争が始まる前にどのように書いていたかをみよう。

「仮にイラクを短期間に屈服させ体制転換させたとしても、問題の解決に近づくであろうか。むしろ、逆であろう。多くのイスラム諸国の人々の米国への憎しみを増幅し、世界中の人々は米国への嫌悪を軽蔑を深めるであろう。それは、イズラム原理主義をはじめとするさまざまなテロリストたちの温床となり、米国はいつ襲われるかもしれないという恐怖と不安の大国となるであろう」
実際、この予言の通りになった。当時、多くの外交と防衛の論客に対し、一人敢然と「これは間違った戦争だ」と立ち向かった情景を記憶している。そのアメリカ追随論者たちは今もテレビで恥ずかしげも無く発言している。
寺島は「発言に責任を持ち、間違った場合は退場を余儀なくされるのが常識」であるとし、検証報道、調査報道に大手メディは踏み込むべきだと提案している

そして、日本の進路をどのように主張しているか。

安全保障。
「米国の核抑止力だけに期待するよりも、日本の原理原則としての「非核平和主義」に徹し、大量破壊兵器の廃絶を執拗に訴え続けるという「持たざる国の強み」を生かし切るべきであろう」

  • 「反米でも嫌米でもなく、日米同盟の重要性を評価する立場の人間こそ、在日米軍基地の縮小と地位協定の見直しを通じて日本の自立と主体性回復を志向し、「相互敬愛」に立った日米関係を構築すべきであるというのが主旨であり、同時に、たとえ段階的にでも、ロシア、中国、北朝鮮、韓国をも招き入れた北東アジアの多国間の安全保障のスキームを実現すべきというものである。」

エネルギー。
日本の「エネルギー戦略」については、「多次元的な賢さ」が必要であると言う。
「平和利用に徹した原子力の技術基盤を維持し、この分野での国際的貢献を図るべきだ」と主張する。
そのためには「国策民営の限界を認識し、国家が責任を持つ体制で、原子力を維持すべし」という見解である。

中東
「中東への関わり」については、粘り強く宗教間対話を呼びかけ、宗教的寛容に立つ世界協調を主導し、中東の安定と繁栄に協力する姿勢を貫けとする。


「名言との対話」9月1日。世阿弥

  • 「初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず」
    • 世阿弥(正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。観阿弥世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。
    • 「住する所なきをまず花と知るべし」美しい花を咲かせ続けるには、停滞することなく、変化し続けなければならない。
    • 「時分の花をまことの花と知る心が真実の花になお遠ざかる心なり」若い時の美しさはほんの一瞬だけのもの。それを自分の魅力だと思っていると本当の自分の魅力に辿りつけない。
    • 「時々の初心」とは、その時代に応じた芸を工夫せざるを得ないから、自分のうちに積み重なっていくという意味だ。「老後の初心」とは、老後にふさわしい芸を打ち立てることであり、それも新しい体験であるから、初心を忘れずに励めという意味である。そして個人の命には限りがあるが能には果てはなく、後継者が連綿と芸を発展させていくべきだと世阿弥は言っている。初心は忘れやすい。若いときも、老後も、そしていつまでも、慢心することなく、謙虚な心で、初心という志を忘れずに芸に励みたい。