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2拍3日の沖縄も終了

八木さん、高橋さん、そして伊敷さんと挨拶。彼らは北へのドライブの後、クルージングへ。

私は今日帰るので一人で行動。

  • 平成元年建立の沖縄県庁。様々の歴史のドラマを刻んだ建物。

埋め立ての土砂の量などを示すときに、県庁何個分という言い方をするのもうなずける大きな風格のある建物だ。

  • 中国人通りと化した感のある国際通りをゆっくり散策。横道に入ると古書店などもあり面白い。
  • 壺屋焼物博物館(那覇市立)を訪問。

    • 焼きものは生活の道具でもあるが、人生の各種イベントを盛り上げる場で使う物であり、そして文化レベルを示す物でもある。首里城でも琉球政府が中国と日本に対する威厳を保つために、力を入れた様子が展示されている。
    • 企画展では「金城吉彦・博美 作陶の軌跡」展をやっていた。この夫婦は陶器作りの同志であり、二人とも沖縄工芸展では奨励賞、入選をしている。常備展で紹介されていた人間国宝・金城次郎の孫が吉彦だった。「壺屋三人男」を購入。

さて、二泊三日の沖縄の旅も終了。
琉球新報社訪問、二度の琉球新報での講演告知、那覇ジュンク堂での知研沖縄支部発足、「図で考えれば、世界が見える!」というタイトルの記念講演、窓口となった伊敷さんとの交流、今回橋渡しをしていただいた知研の高橋さんの長い時間をかけて培った広い人脈、泡盛沖縄そばを食べながらの関係者との歓談、、、など充実した三日間だった。

今回改めて地元紙の琉球新報をじっくり読む機会に恵まれた。例えば9月2日。
「金口木舌」の終戦記念日を巡るエッセイ。社説は「辺野古IUCN勧告に日本は従うべきだ」「パトロール職員動員 米軍犯罪抑止にはならない」。普天間オスプレイの3週間グアム訓練。鶴保沖縄担当相との一問一答(貧困の連鎖)沖縄ガスパワー電源調達。台湾創新。憲法のいま公布70年(盾か足かせか)。2面にわたる教育面の存在。お悔やみ欄の充実。旧石器人研究最前線(与那国−西表嶋)占守戦没者の遺骨帰郷。島尻補佐官(子の貧困対策視察)。伊江島の魅力発信。名護市史。、、。

実に充実した内容だ。
戦後70年の総括は沖縄問題に凝縮されていると思う。その意味でさらに深く考えるために、この琉球新報を自宅でとることにしたい。

「名言との対話」9月4日。田中正造

  • 「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし」
    • 田中正造(1841年ー1913年)は、日本初の公害事件である足尾鉱毒事件の告発と解決に一生をささげたことで名が残っている。一人の人間の名が幾世代も越えて人々に語りつがれることは稀有のことである。田中正造の一生とその仕事にはそういう価値がある。
    • 「飢えでやむ民の家塚もろともに岸も噛み去る毒の荒波」
    • 田中正造の活躍によって足尾銅山鉱毒事件は国家的事件となり、明治30年には政府も古河市兵衛に対し鉱毒予防工事命令を出し、短期間に防毒工事を完了させなければ銅山の操業停止処分を課すという厳しいものだった。実行不可能と言われた工事に市兵衛は巨額の資金を投じて期限内に完了させたが、当時の知識や技術では鉱毒の除去はできなかった。
    • 田畑の鉱毒土の除去作業は困難を極め、又効果もなかなかでなかった。このあたりは、原発事故の除染という作業の困難さを想像させる。「真の文明は山を荒らさす川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし」という田中正造の言葉は現代においても心に響く。