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広州2日目。広東財経大の本部。授業参観。明治アイスクリーム。珠江

広州2日目。


まず本部を訪問。

広東財経大学の副学長、教務委員長、国際交流委員長、外国語学院副学部長に面談。

副学長から広東財経大学の全貌を聞く。アメリカ、オーストラリア、ドイツなど多くの国々との交流が盛ん。学部生は23,000人。非常に積極的な政策をとっているとの印象を受けた。


久恒から多摩大学と広東財経大学の協定を結んで以降の実績、そして今後の期待などを説明する。教員の共同研究、学生向けての共通科目の設置など。

大変なごやかな会談となった。


次は授業参観。

日本経済が専門の呉先生の講義。本日の講義のテーマは日本の円高と円安についてだった。

貝や塩から始まって最後は銀や金にお金がなっていった話。今本位制。基軸通貨ドル。近代に入ってからは今の保有の保有量の競争。1オンスは31グラムで35ドルに相当。IMF世界銀行。日本の円は、明治には1ドル1円、その後に2円になり、戦後は360円となった。308円を経て1973年には変動相場制となった。1985年のプラザ合意を経て80円という超円高となった。そして現在は100円。

朝鮮戦争ベトナム戦争、などで、アメリカはドルを使いすぎてドルの基軸通貨制度は揺らいでいる。信用が落ちている。今、金融、為替は商機になっている。


講義が終わってコメントを求められた。
「呉先生の講義はとても上手で感心した。そして学生たちがこの講義をほとんど理解していることに驚いた。家モンゴル人の先生が日本語で日本経済を講義しそれを若い中国人の学生が聞いている姿は印象的。

昨日9月11日はアメリカの同時多発テロの日だった。その2001年から15年経った。2001年段階では日本の貿易量はアメリカが25%、中国は12パーセントだった。2015年ではアメリカ15%、中国21パーセントと大逆転している。

戦後の円とドルの歴史を自分のたどってきた道と重ねあわせて講義を聞いていた。1972年に初めて学生時代にヨーロッパに行った時は360円だった。変動相場となった1973年に社会に出た。1978年前後にイギリスに駐在することになったがその時ポンドは弱く日本は高度成長に入っており経済は強い段階に入っていた。そして1985年のプラザ合意以降は朝円高が進み1ドル80円時代も迎えた。そしてバブル時代を迎え1,990年代初頭にバブルは完全に崩壊をした。その後日本は失われた10年、失われた20年を迎えている。

私は日本40年周期説をとっている。1865年の開国決定から1905年の日露戦争の勝利までの上昇の40年。1905年から1945年までの軍国主義が破綻するまでの40年間。7年間の占領期間を経て1945年から1992年のバブル崩壊までの経済大学の歩み。1992年から40年後の2032年に向けて日本はどうなっていくか。今はその中間地点に立っている。

中国と日本は切っても切れない関係になっている。今後も日本と中国の若者の交流を通じて良い未来を一緒に創っていきたい。」


昼食を済ませて、大型バスで郊外の明治アイスクリームに到着。

株式会社明治は広州、上海、蘇州に進出している。塚田社長、小林工場長から説明を受ける。工場見学、ビデオ、アイスクリームの試食。

日本の優れた企業の、長い伝統と最新設備と品質管理についてお話を伺った。

この工場では120人以上の要因が働いており繁忙期には200人を超すと言う状況であるが、日本人は派遣された幹部4人のみ。社長、販売部長、工場長、生産部長。

人材採用では部長課長クラスの幹部人材の採用がなかなか難しい。食品人材はまだ少ない。自動車産業とは違う。

明治は1974年のシンガポール、タイ、中国、オーストラリア、インドネシア、アメリカ、インドなど7カ国に展開。中国では2005年の上海、1993年の広州、2013年の蘇州、そして2012年からはアイスクリームの広州。

日本のやり方の押し付けは失敗する。現地化が遅れるとうまくいかなくなる。物流外車の選択が重要だ。今後は健康栄養食、介護食などの分野にも展開していきたい。

学生の半数以上が積極的に質問をしていたのでとてもいい雰囲気だった。


夕刻からは珠江クルージング。

同行の日本語学科の人先生によれば、住宅価格はこの10年で6倍から8倍になった。平均的には1平米当たり30から40万円。1番高いところでは50万円以上となっている。新入社員の月給は6万円、月給は平均的には15万円。広東料理は4人に向いている。飲茶が特色。サッカーチームの恒大は有名。バスは2元、地下鉄は2元から6元。タクシーは最近はUber。中国版Uberと合併した。

クルージングでは姿の美しい広州タワーが印象に残った。

「名言との対話」9月12日。源氏鶏太

  • 「ユーモアとは人生の薬味である。同じそばを食べるにしても、そこに薬味を入れたのと入れないのとでは味に雲泥の差がある。薬味の入っていない人生では、味わいが薄い。」
    • 源氏 鶏太(1912年(明治45年)4月19日 - 1985年(昭和60年)9月12日 )は、日本の小説家。富山市出身。旧制富山商業学校(現・富山県立富山商業高等学校)卒。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由だ。
    • 「働くということには、不平や不満がつきまとうように運命づけられている。その宿命に簡単に負けたのではおしまいである。自分を不幸にするだけだ。あえてその宿命に挑戦する気になったら、そして、それによって自分という人間の真の値打ちを知ろうと努力する気になったら暗闇の中に一条の光明を発見できるかもわからないのである。そのためには勇気が必要である。」
    • ユーモアが人生の薬味であるとはよく言ったものだ。楽しい時はもちろんだが、悲しい時やを苦しい時や、危機を迎えて緊張している時など1つのユーモアが全体の空気を一変させることがよくある。例えば1972年の中国を回復交渉の時、周恩来首相との交渉が難航し、大平外相以下が呻吟している姿を見て田中角栄首相は「大学出はだめだなぁ」と言って苦笑させ空気を和らげたと聞く。その場の空気を読んで、自分をも客観視し、笑いで空気を変えていく。空気が独特で微妙なだけに言葉を間違えると完全に裏目に出ることがある。ユーモアのセンスはリーダーには欠かせない資質だ。