広州4日目。シンセンのホンファイ本社。交流パーティ。

「食は広州にあり」という意味は、美味いう意味もあるだろうが、実は何でも食べるということのようだ。一説には飛行機以外は皆食べるという話もある。

大型バスで工場からシンセン郊外のホンファイの工場へ向かう。明日から中秋節の3連休なので道が混んでいる。中国では連休にはほとんどの人が故郷に帰ると言う習慣がある。比較的連休が多いのは消費拡大も狙っている。

今回参加した学生は14名ほどだがこの旅行のうちに来年からの留学を決めた学生が少なくとも2人出てきた。

ホンファイに到着。
ホンファイは台湾企業であるが、日本のシャープを買収したことで有名になった。その総裁の部屋が目の前にあった。トタン屋根風の粗末な作りで驚いたが、常にそういうものにはお金をかけない方針とのこと。Terry Guo総裁は今日はこの建物で執務中であった。仕事の鬼で1日16時間以上働くそうだ。

ホンファイは富士康科技集団FOXCONNと呼ばれている。
娘が日本のニセコのホテルで働いていると言う中堅幹部から説明を受ける。
まずビデオ。グローバライゼーション。技術サービス。未来開発。企業文化。
次に英語のパワーポイント。
この工場地区には20万人が働いている。本社機能を持っている。
パソコンやプリンターモニター等の自宅清算が主たる業務であるが、今後は新ビジネスやインターネット4.0などの新しいビジネスに進出するつもりのようである。大阪が本社のシャープは日本で3 2万人間位で22,000人合計で42,000人の人員がいる。ビジネスソリューション部門と協力をして仕事を展開する。

ホンファイは台湾には研究開発拠点のみで、世界展開をしているが、アジアが76%を占めている。

現在はエンジニアが57%を占めているが、自動化が進行して将来はこれに加えマーケティングや研究開発の人員が増えてくるだろう。

現在のヒエラルヒーは、プレジデントクラス1パーセント、コマンド3パーセント、エグゼクティブ29パーセント、オペレーション67パーセントの構成になっている。将来はプレジデントが2%、コマンドが8%になる予定である。

この企業は人材の育成にも熱心な印象を受けた。採用については7つの人材要件がある。パーソナリティー、志、心構え、ハードワーク、経験、教育、スキル。社会貢献活動にも熱心だ。

アップルのiPhoneiPad等はこの会社で作っているのだ。ワーカークラスで日本円で6万円程度、残業代を入れると7万円程度の給料。

バートル先生のシャープの友人から紹介された鮑副社長からも説明を受けた後、構内のレストランで昼食の招待を受けた。隣に座ったので色々と質問をしてみた。

ホンファイは上司と部下が一緒に会議に出る、テレビ会議の多い店などスピード感が特色である。シャープはきめ細かさが特色だ。本郷は仕事のやり方も帰ることになるのではないか。シャープの中国本社はこの地区に移すことになった。

この企業で働き12年になる副社長は、人材がやめて豊富な会社だと感じている。年間100万人の従業員を採用しすしてきた。20年経って2000万人を採用したことになる。家族も含めると1億人。この企業での教育効果は大きく他企業転職も出来るようになっている。

iPhoneの生産は慶州で行っている。1億人の人口の上であるがiPhoneの生産でGDPの半分を占めている。

この企業は日本企業に近いフード。毎年どんどんレベルアップしている。

年末には1万人の幹部を集めて、三日間の全体方針共有の会議が開かれる。この時に初めて会社全体の全体像が見えるとの事だ。

総裁は56歳。まだ後継者が決まっていない。総売上は昨年9,000億元だった。これは日本円では13.5兆円になる巨大企業だ。

この副社長も私と同じiPhone 6 Plusを使っていた。この宿には20万人が働いており食堂は12カ所ある日本食レストランも見ることができた。


バスでこの地区を20分ほどで回ることになった。レストラン、人事関係のセンター、食堂、労働組合、病院、健康センター、消防、社員寮、ガソリンスタンド、商業スペース、図書館、物流センター、保税区、何でも揃っている。


秋レットパッカードのインクカートリッジを作っている工場を見学する。
入り口には、解決問題的能力は幹部の主要な標準であるとのスローガンが掲げてあった。問題解決学はグローバルスタンダードだったことを発見。全てが自動生産の工場で、コンピューターによる保守管理が行われている。

この企業のビジネスモデルがわかっ。世界の大手企業からの受託生産を行っており、自動生産設備を作る能力が高い。色々な業種の生産を受諾するためそのノーハウが溜まっていく。あらゆる情報が集まってくるため、それらを組み合わせて新しいビジネスモデルを提案できる能力が高まっていく。もともとは下請けという最下流の位置にあった企業であるが力をつけて上流の委託先のシャープを買収するまでになっている。




広州に戻る。

夜は広東財経大学と多摩大学との学生の交流パーティー。中日文化教育交流週間。

まず共産党の蘇書記のあいさつ。
ともあり遠方より来たるまたたのしからずやという論語の言葉から始まった。
この交流を通じて将来の人材育成のモデルを探り刷新していきたい。

楽器演奏。広東劇。伝統文化は素晴らしい内容だった。
ゲームの時間、宇多田ヒカルのFirst Loveの熱唱、日本語演劇は裸の王様。
とてもよく準備されて練られてており高い文化を見せてもらった。


珠江のほとりで、バートル先生と夜食を食べながら、このプロジェクトの総括を語り合う。

「名言との対話」9月14日。伊達政宗

  • 「馬上少年過、世平白髪多、残躯天所赦、不楽是如何」
    • 伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国陸奥国戦国大名・伊達氏の第17代当主。仙台藩初代藩主。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。
    • 若い時代は、馬に乗って戦場を駈けて過ごした。今は太平の世になり白髪も増えてしまった。余生は天から与えてもらってはいるが、これを楽しまずしてどうするのか」
    • 「馬上少年過ぐ」という書を阿蘇のある店で見たことがある。熊本県知事だった頃の細川護煕が書いた書だった。字もうまかったが、この言葉に感銘を受けたことを思い出す。少年はいつの時代も、彼の戦場を駈けている。その時は詩的な言い方だと思ったが、これは伊達政宗の言葉だったのだ。「世平白髪多」は、すでに社会の秩序は定まってしまい、自分は年齢を重ねてしまって出番はない。「残躯天所赦 不楽是如何」という言葉も人口に膾炙しているが、太平の世の中で長く生きたのだから年をとったら楽しもうではないか、という意味にとりたい。やるだけやったら、後は楽しもうじゃないか。これが一代の英雄・政宗の晩年の心境だった。