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「自分史フェスティバル2016」で講師

日本橋三越で開催中の「自分史フェスティバル2016」で講師を務めた。
テーマは「人生鳥瞰図で見つける遅咲き人生」。16名の定員満杯。1時間。
「少子高齢社会とは長寿社会、「遅咲き」の時代です。これからは、人生後半の人々の中からスターが生まれてくるでしょう。遅咲きの偉人を参考にあなたの「人生鳥瞰図」を描き、未来の自分の姿をイメージしましょう」


受講者アンケートから。

  • 目からウロコ。
  • 自信あふれるお話に少し圧倒された。
  • 非常に役に立った。自分がまだ壮年期であることがわかりちょっと嬉しい。
  • 大変参考になりました。資料をよくよみ再検討します。
  • 自分史は残された者の宝になる。
  • はたしてどんな未来が見えるか、楽しみです。
  • 講演は大変刺激になった。図からの発想で整理してみたい。
  • 流れるままにしか生きてこなかった自分があらためてわかった!
  • 今までの人生を振り返り図解してみたい。

一般社団法人自分史活用推進協議会の幹部たちと。

終了後、中津北校の同級生たちと家内も含めてコレド日本橋で歓談。
「邪馬台」の川柳コーナー、、、、。


今日のオーディブル。
池波正太郎剣客商売-芸者変転」

芸者変転 (剣客商売より)

芸者変転 (剣客商売より)

「名言との対話」9月19日。正岡子規

  • 「こは長きも二十行を限りとし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし」
    • 正岡 子規(1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)は、日本の俳人歌人国語学研究家。俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。
    • 17歳で東大予備門に入る。ここでは、夏目漱石南方熊楠、山田美妙らと同級となる。21歳で鎌倉で喀血、このころベースボールに熱中する。そういえば上野の森には子規記念球場があったことを思い出した。22歳で漱石との交遊が始まる。23歳で文科大学哲学学科入学。25歳日本新聞社入社、27歳「小日本」編集責任者、28歳日清戦争従軍記者。このとき、従軍中の森鴎外を訪問、松山の漱石の下宿で50日を過ごす。29歳子規庵で句会、カリエスの手術。33歳「日本」に「叙事文」を連載し、写生文を提唱。34歳「墨汁一滴」の連載を開始、35歳「病状六尺」を連載、そして死去。短く不幸な生涯であるが、同時代の人々への感化、その間になした仕事は大きな影響を後世に与え続けているのが素晴らしい。子規は必死に生きようとしたのだった。
    • わずか36年の短い生涯の中で、俳句と短歌の革新を成し遂げた偉人、ベースボールの導入者、そして人が自然に寄ってくる魅力を備えた人物、それが正岡子規だ。
    • 「病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない」
    • 子規という号は、結核という病を得て赤い血を吐く自分を、時鳥(ホトトギス)が血を吐くまで鳴いて自分のことを知らしめるように、自分の血を吐くがごとく何かをあらわそうと決意し、その別名をつけたものだ。また漱石という号は、唐代の「晋書」にある「漱石沈流」に因んだものだ。石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕す、という意味で、負け惜しみの強い変わり者を意味している。もともと、百ほどの号を持っていた子規が使っていた号だが、漱石に譲っている。
    • 漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)」
    • 「墨汁一滴」には、食べ物の薀蓄、歌に関する知識、人物胆、俳句、万葉集賛歌、闘病の苦しさ、少年時代の思い出、漱石のこと、試験の話など、優れた批評精神と好奇心のおもむくまま豊かな精神生活を感じさせる文章が並んでる。テーマ、スタイルなどが多彩にひろがっていて、子規の世界を堪能させてくれる。随筆に現われる子規は実に魅力的だ。
    • 現代のブロガーは子規に学びたい。