大学運営会議。大学戦略会議。

多摩キャンパスから九段サテライト。

「名言との対話」9月30日。椎名悦三郎

  • 「余分なことを言ったりやったりすれば、面倒な場面を招くのにつながる。だから余分なことをしない「省事」の心が必要になるのさ、、、、重い地位へ就けばなおさらこの心が必要になってくるのだ。」
    • 椎名 悦三郎(1898年(明治31年)1月16日 - 1979年(昭和54年)9月30日)は、日本の官僚、政治家。戦前の官僚時代は岸信介の腹心として活躍し、商工次官、軍需次官などを務めた。戦後は政界入りし、内閣官房長官(岸内閣)、通商産業大臣(21代・30代)外務大臣(94-95代)、自由民主党・総務会長、政調会長、副総裁を歴任した。
    • 日中国交正常化では田中角栄首相・大平正芳外相が事に当たったが、残る問題は友好関係にあった台湾であった。台湾派議員のリーダー的立場だった椎名悦三郎自民党副総裁は蒋介石の台湾を訪問し、日中国交正常化の経緯とその後の日台関係についての説明をすることになる。彼ら特使一行は当然手荒くもてなされる。つまり、「日中関係は日米関係」であり、「日中関係は日台関係」であり、「日中関係・日台関係は日日関係」であるというようにぐるぐるとまわっており、外交というものは国内政治の反映なのだ。
    • 田中首相辞任後の操作選びでは、椎名副総裁は「私は国家、国民のために神に祈る気持ちで考え抜きました。、、、私は新総裁にはこの際、政界の長老である三木武夫君が最も適任であると確信し、ここにご推挙申し上げます。」とし混乱を収拾した。このいわゆる椎名裁定には鮮明な記憶がある。椎名悦三郎の名はこの裁定で歴史に残った。
    • 「相手に屈辱感を与えないで、間違っておったなということに、そこはかとなく気づくような答え方をしてあげなければいかん」
    • 「省事に如かず」は、小泉純一郎首相の座右の銘と記憶している。邪律楚材の「一利を興(おこ)すは一害を除くに如かず、 一事を生ずるは一事を省くに如かず。」からきている。もともとは害や無駄を取り除く方が、始めるより大事という意味である。それに加えて、私は高い地位に就いたらささいなことに惑わされないで、本筋を常に念頭において事にあたらなければならない、と捉えたい。