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「日本酒片手に富田勲の音楽を楽しむ会」

夜は、19時から「日本酒片手に富田勲の音楽を楽しむ会」。
築地の八海山のセミナールームで開催。ホストは娘の妹尾理恵さんと奥様、妹尾さんのご主人、富田先生のお孫さん(YAHOO)。
30人ほどの富田先生ゆかりの方々が参集。
富田先生の音楽と日本酒(菊姫・八海山)を堪能。
JAL関係者は関口さんと私。JALへの菊姫など大吟醸搭載の担当者としての立場。

尺八の藤原道山棟方志功の孫。博報堂の役員。博報堂の局長。八海山の社長。日本コロンビアの社長、役員。NHK題名のない音楽会プロデューサー。、、、、、、。

流した音楽は、「惑星」「ジャングル大帝」「新日本紀行」「銀河鉄道の旅」

気持ちの良い、そして贅沢な会だった。

11月はオーチャードホールの追悼特別公演「ドクター・コッペリウス」があり、関口さんと日程調整。
富田先生最後の作品。「これをみるまでは死ねないよ」。
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「名言との対話」10月5日。瀬長亀次郎。

  • 「不屈」
    • 1907年生まれ。20歳、七高理科入学、社会科学研究会に参加。22歳、放校。。24歳、京浜地区で臨時工、日本共産党入党。25歳、治安維持法で検挙され懲役3年。29歳、沖縄朝日新聞記者。31歳、兵役招集。33歳、復員、毎日新聞那覇支局記者。38歳、田井等市助役。39歳、うるま新報(現「琉球新報」)社長。40歳、沖縄人民党創立、中央委員。42歳、書記長。45歳、第1回立法院議員選挙で最高点当選。47歳、米軍軍事法廷で懲役2年。49歳、出獄、那覇市長に当選。50歳、米軍の布令で那覇市長の座を11ヶ月で追放。激励の手紙5000通。52歳、沖縄人民党委員長。60歳、16回の渡航拒否を打ち破り11年ぶりに上京。61歳、屋良朝苗主席・平良良松那覇市長を誕生させる。62歳、ジョリオ・キュリー賞。63歳、戦後初の国政参加選挙で当選。65歳、沖縄返還。70歳、日本共産党国会議員団総会会長。75歳、ヤンバルクイナを国の天然記念物に指定させる。79歳、衆議院議員7期目当選。この間、ベトナム、イタリア、ユーゴ、キューバを訪問。83歳、衆議院議員勇退。94歳、死去。二つ年下の妻・フミも沖縄人民党市議を長くつとめた。2009年には百歳を迎えた。2010年、死去。
    • 瀬長の風貌は何か滑稽感があり漫画にしやすいらしく、よく対象にされたらしい。また写真をみると、よく笑っており、快活な行動で、親しみやすく、大衆に人気があったのはうなずける。瀬長は次のように語っている。「悲愴感があまり出すぎるとたたかいは長つづきしないことを学ばされました。だからたまには冗談もとびだし、ユーモラスなこともいう、いわゆる楽天的にかまえるということであります。しかも一本のスジは絶対に通していく、このことはつねに注意をはらうことにしています」
    • 「このセナガひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば全那覇市民まで聞こえます。沖縄の90万人人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波をこえて、ワシントン政府を動かすことができます」
    • 冒頭の「不屈」は、瀬長の人生を一言で表す言葉だ。瀬長らの行った「島ぐるみ」闘争は、今日の翁長知事に引き継がれているようにみえる。祖国復帰を熱望した瀬長の見た祖国日本はどのように映ったであろうか。