オトバンク。日本地域社会研究所。

15時、茶の水の株式会社オトバンクの上田会長を訪問。
知研の八木会長、福島事務局長、私(理事長)。
過去のセミナーテープの音源化がテーマで、いい話ができた。

そのまま、荻窪の日本地域社会研究所の落合社長を3人で訪問。
喜界島(焼酎)を飲みながら、歓談。
プロジェクトが始動。四季報、事務局、出版、、、、。名言、図解本も。

「名言との対話」。10月7日。石坂洋次郎

  • 「小さな成功よりもあなたの孕んでいる未完成の方がはるかに大きなものがあることを忘れてはならないと思う」
    • 石坂洋次郎は1900年(明治33年)に弘前で生まれ、最後は静岡県伊東市で86歳の天寿をまっとうする。死の床で、「人生よし」と書き残したから、悔いのない生涯だったのだろう。1936年に自身の夫婦生活の不和を描いた「麦死なず」という作品を書く。石坂が数多い作品の中で一つだけ挙げるとしたらと聞かれて、挙げたのがこの作品である。「私は今日までたくさんの作品を書いているが、一つだけ残したい作品をと言われれば、躊躇なく「麦死なず」をあげる。」といっている。
    • 1949年(昭和14年)、38歳の石坂は東京へ出て大活躍を始めるが、秋田県横手市での教師としの13年の体験が、若い人を観察する目を養った。
    • 石坂文学の特徴は、映画化された作品が多いということだ。「青い山脈」は5回、「若い人」「何処へ」「石中先生行状記」は4回、「暁の合唱」「若い娘」「陽のあたる坂道」は3回、そして2回映画化された作品は実に11作品にのぼる。多くの青年に希望を与えた作品を書いたのだ。
    • 「照顧却下 地味に着実 に進むことだ」
    • 「賢い平凡人たれ」
    • 「どちらにも片寄らない中道。人間は中道を歩むことが大へん大切なことです」
    • この作家が教え子たちに残した言葉もなかなかいい。その言葉が彼等の人生に長く影響を与え、それが残っていることが素晴らしい。石坂は一人一人にその人にふさわしい言葉を書いてあげている。素晴らしい教師だったのだ。それらの言葉の中で、冒頭にあげた、小さな完成ではなく未完成の自分を大切にせよ、というメッセージは心に響き渡る。