飲み会4連チャン

本日で4日間連チャンの飲み会が終了。

「名言との対話」10月8日。下田歌子

  • 「何によらず、臨機の方法を求むる場合に於て、倉皇事を執れば、必ず損失ありと知るべし。」
    • 下田 歌子(出生名:平尾 鉐(ひらお・せき)、安政元年8月9日(1854年9月30日) - 昭和11年(1936年)10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者・歌人。女子教育の先覚者。幼い頃から学問に触れ、和歌や漢詩を詠んだ。 明治4(1872)年、18歳で江戸の儒学者・東条琴台を訪ね、翌年に宮内省に出仕した。同年、皇后陛下に詩歌を献上したところ、その文才を認められ、歌子の名を賜った。その後、歌子は女子教育の道に進み、実践女子学園、女子工芸学校を創設し、校長となるなど、明治・大正時代を代表する女子教育者となった。和歌・俳句・漢詩日本画に優れ、また容姿と才能に恵まれた歌子は「昭和の紫式部」と呼ばれたり、総理候補とさわがれたり、話題の多い人物だった。
    • 「ときはなる 色も深めて ことくさに たちまさらなむ やまとひめ松」は、1908(明治41)年には財団法人帝国婦人協会実践女学校の理事に就任した歌子の歌である。節操を守り信念をもって毅然と生きてほしい。外国の女性にもまけないで、日本のおとめたちよ」と、教え子に呼びかけた。
    • くれたけの ふしどのうちに 学び得し 道を伝ヘむ 待てや教ヘ子
    • まよひなき 正しき道は 見ず聞かず 言わずむなしき 空にみちたり
    • 渋谷の実践女子大の120周年記念の新校舎にオープンした「向田邦子文庫」を訪問したことがある。同じ一階には1899年にできた学園の創立者として下田歌子レリーフが飾ってあった。学祖・下田歌子の号に由来する「香雪記念資料館」があったが、残念ながら閉まっていた。
    • 冒頭の言葉の「倉皇事(そうこうごと)」とは「慌てふためく様子」の意味である。泰然自若、準備万端、心に迷いがない状態で、あわてることなく、冷静にさまざまの事にあたりたいものだ。