夫婦と息子、それに娘と葵唯ちゃんの五人で過ごす正月元旦。
朝の食事の後、地元の日枝神社に初詣。
今年の運勢は、「吉」。
立ちよれば そでになびきて 白萩の 花のかゆらく 月の下かげ
(時期をあやまらずはやくあらため進みてよし 人と人と互に力をあわせてなすによきときあり されどわるきことと知りつつすすむは悪し注意すべし)
旅行「さわりなしよろし」商法「利益あれど少し」学業「友より一層学べ」方角「東の方万よし」
電話で新年の挨拶は、九州の母、妹。横浜の弟。群馬の義姉。みな健やかに正月を迎えている。
IT時代を迎えてネットの中で生きることにして、年賀状はもう15年ほど出さないことにしている。それでも来るので、何人かに電話で挨拶。中村伊三雄さんと会話。
年末には年初の計画の進捗状況を評価し、年始には計画を立てるというサイクルを続けて37年目に入る。2016年の総括は12月31日の大晦日に書いた。2017年の計画は、持論の「自由」でまとめることにした。肉体的自由、経済的自由、時間的自由、精神的自由。それぞれの自由の拡大が幸せへの道である。休みの間にじっくりとまとめたい。
人物記念館の旅は、新潟、福井、富山、石川、それに秋田、島根を予定している。期せずして今まで縁が薄かった日本海方面となった。東京では企画展を中心に訪問する。再出発!
昨年は、その日が命日の偉人の名言を拾い、感想を書くという業が完成した。
今年は、誕生日に変えて同じ業を行うこととしたい。最後の所感部分を多めに書くことを課したい。
「名言との対話」1月1日。中野孝次。
「自分になりきるとは、自分だけの言葉を持つことだ。自分の言葉ばかりで物を言うようになったとき、人ははじめて真の自分を獲得し、自分を全肯定できるのだ。」
中野孝次(1925年(大正14年)1月1日 - 2004年(平成16年)7月16日)は日本の作家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。
「顧みて幸福なる生涯なりき。このことを天に感謝す、わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり。予は喜びも悲しみもすべて文学に託して生きたり。予を偲ぶ者あらば、予が著作を見よ。予に関わりしすべての人に感謝す。さらば。」(遺書。「ガン日記」より)
「従容として死につく、という言葉あり、人の死の理想たるべし。」「春の夜やガンをいだきてひとねむり」
「よし、あと一年か。それなら、あと一年しかないと思わず、あと一年みなと別れを告げる余裕を与えられたと思うことにしよう、一年を感謝して生きよう、とようやく思定まる。」
「ふたりが一体となって自分たちだけの歴史をつくっていくとき、その歴史が今度は逆に老年になって夫婦を支える確かな基盤になってくる。」
中野孝次は「清貧の思想」という著作で日本人の持つ美しい思想を届けた。所有への欲望を抑えることで、精神的自由を飛躍させるという逆説的な考え方である。この中野孝次という悩み深き人物が、自分という存在を考察した名言が冒頭の言葉である。中野はもともとドイツ文学者であったが、最後は日本に回帰している。借り物で飾った人の自分は虚しい。自分が体験と思索を積み重ねて絞り出した言葉だけで語ることができるようになったとき、覆っていた暗雲が晴れて精神が解放される。自分という存在は自分になりきることで完成される。