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田辺元、浜口雄幸、渋沢栄一、栗山英樹、、。

今日の収穫

  • 浜口雄幸「衣食住は政治の大きな仕事だが、人間はパンのみで生きるのではない。人間の精神面が並存していることを認識しないと真正の政治はできない」「人の心ほど弱いものはない。此の心一度弛めば、小にして其の身を亡ぼし、大にして国を亡ぼす」(「随感録」:日経「私の履歴書」大橋光夫昭和電工最高顧問)
  • 渋沢栄一「天意、夕陽を重んじ 人間、晩晴を貴ぶ」(渋沢が晩年好んで揮毫した言葉)
  • 栗山英樹「監督である僕が成長することです。いまも選手たちが次のシーズンに向けてトレーニングしていますが、僕にとってのトレーニングは勉強することなので、まずそれをしっかりやる」

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「副学長日誌・志塾の風170203」

役員室

  • 入試判定会議:昨日から今朝にかけての準備がよくできており、あっさり終了。
  • 安田学部長:3つのポリシー。

研究室

  • 水谷IR室長:3つのポリシーとアセスメントポリシーの組織決定の進め方を相談。2月の大学運営会議。

ラウンジ

  • 杉田先生・金先生の相談中に割り込み。長い時間をかけていろいろな懸案にゆるい合意。

 

「名言との対話」2月3日。田辺元「懺悔とは、私の為せる所の過てるを悔い、その償ひ難き罪を身に負ひて悩み、自らの無力不能を慚ぢ、絶望的に自らを抛ち棄てる事を意味する」

田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。元京都大学教授京都大学名誉教授。1947年帝国学士院会員、1950年文化勲章受章。

自然科学の哲学的研究から出発し、「絶対弁証法」をとなえ、「種の論理」で西田幾多郎を批判、田辺を京大に招くにあたって尽力した西田とともに京都学派の双璧となった。田辺は「類」を全体とする西田を批判し、全体(類)と個をつなぐ「種」を提唱した。種は民族や国家であり国家を絶対化する傾向も含み、戦争を正当化する論理となった。終戦後は「懺悔道としての哲学」で自己批判し、親鸞の他力に共感する立場から著作を書いた。

小説家・野上弥生子の日記を読むと、68歳の日記には「ある特定の対象とこれほど深い知的な、また愛情をもっての繋がりが出来ることを夢にも考へたらうか。」とある。ある特定の対象とは、京大退官後に隠棲した北軽井沢の地で生活する同年の哲学者・田辺元である。軽井沢の別荘で執筆する弥生子は田辺の講義を有り難く拝聴していた。「こんな愛人同士といふものがかつて日本に存在したであらうか」と日記に記した老いらくの恋である。

戦争を煽った有力者の中で、文学の高村光太郎は岩手の山荘で懺悔の厳しい生活を送ったし、徳富蘇峰も隠遁したが、その心境は同じく思想面で国家主義を推進した田辺元のこの厳しい懺悔の言葉と同じであったろう。田辺も軽井沢で隠遁生活を送るのだが、「日本民主主義」を提唱するなど、その思想は進化していったようである。