野田宇太郎展

野田宇太郎 散歩の愉しみ パンの会から文学散歩まで」展。

町田市民文学館ことばらんど開館10周年記念企画。

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野田宇太郎1909年明治42年)10月28日 - 1984年昭和59年)7月20日)は、日本の詩人文芸評論家、文芸誌編集長。

野田宇太郎は二つのライフワークを完成させている。

一つは「文学散歩」。1951年(昭和26年)、日本読書新聞に『新東京文学散歩』を連載、その単行本はベストセラーとなり「文学散歩」のジャンルを確立した。師である木下杢太郎の死と戦後の荒涼たる街並をみて近代文学の足跡が失われることから始めた。実証敵な文学研究の方法である。「散歩といえば足です。足といえば実証です。実証は科学です」。41歳から始めて「新東京文学散歩」がベストセラーになる。34年、74歳で亡くなるまで数十万キロの文学散歩であった。68歳から「野田宇太郎文学散歩26巻」を刊行。「云うまでもなくこの本には日本近代文学に関する限り類書がない。私の責任はどうやら私自身が考えているよりもいよいよ重大であるらしい」。

もう一つは「パンの会」。1976年(昭和51年)には『日本耽美派文学の誕生』で、67歳の時に芸術選奨文部大臣賞を受賞。パンとはギリシャ神話の牧羊神。半獣半神。上半身が人間で、下半身が獣。木村荘八の絵が有名だ。鉄幹を中心に白秋、吉井勇、平野万里、木下杢太郎の5人が明治40年に一ヶ月近い九州への旅行をしており、それがパンの会の誕生につながる。その旅行が参加者のその後に大きな影響を与えたことを発見した。師の木下杢太郎の顕彰では、71歳で「木下杢太郎の生涯と芸術」という書を書いた。

文学散歩で近代文学の足跡を守るために、作家の住居、業績を保存し後世に継承するために、記念館や文学館の建設に関わった。文学の痕跡としての顕彰碑や詩碑も建立した。日本近代文学館博物館明治村森鴎外本郷図書館、一葉樋口夏子碑序幕式の世話人代表など。

九州、東京で編集者として活躍している。下村湖人次郎物語」。31歳上京。学生であった三島由紀夫川端康成に紹介している。39歳で詩作と近代文学研究の著述生活に入った。吉祥寺、町田、立川と転居を重ねている。

川端康成「多くの人々また我々のため大変尊い御仕事と存じます」

日夏こうのすけ「考古家の足と頭と、詩人の眼と胸を用いて丹念精密に尚何人も手を染めぬこの必要のわざを探索に踏み入りこの先駆の書をまず成して夥しき人々の、、、を受けた」

文学史上の人物や遺族との出会いは、史跡、遺跡との出会いに似ており、また出会いは散歩にも似ている。野田宇太郎は「文学巡礼者」と呼ばれたが、私の記念館巡りの先達だろう。34年という歳月は蘇峰の近世日本史、宣長古事記伝などと同じ年数だ。人物記念館の旅は55歳から始めたから、34年というと89歳になってしまう。この人の東京、九州などは早速読まねばならない。

帰って本棚をみると、野田宇太郎「改稿東京文学散歩」(山と渓谷社)があった。昭和46年初版発行だ。約半世紀前の東京の姿が著者の息遣いともに記されている。

改めて眺めてみると、この野田宇太郎という人の人生はすっきりしている。ライフワークの命ずる道を命の続く限り歩き続けている。そして自分のできる範囲で完結し、その後様々の人たちが出版だけでなくラジオ、テレビなどのメディアを使って遺志をを継いでいる。会場では女優の小林千登勢が野田へのインタビュアーで芭蕉の「奥の細道」の番組を流していた。一つの種をまいてそれを木にして、その木が時代を重ねて大木に育っていく。そのように設計したかのようで見事だと感心する。編集者としてそういう企画を実現したのではないだろうか。

 

「名言との対話」2月4日。井上円了「諸学の基礎は哲学にあり」

井上 円了(いのうえ えんりょう 1858年3月18日安政5年2月4日) - 1919年大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。

多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、哲学館(現:東洋大学)を設立した。また迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、一方で「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。

 白山の東洋大学井上円了を記念博物館を訪問したことがある。あいにく閉まっていた。井上円了東洋大学創立者だ。キャンパスの建物群の前に塩川正十郎氏の銅像があった。小泉政権で「塩爺」と呼ばれた塩川氏は、この大学の中興の祖らしい。文部大臣を辞した後、東洋大学理事長、総長として、平成元年に白山キャンパス再開発事業を決定し、平成17年に文系五学部の白山キャンパスを完成させている。平成24年は125周年。

哲学というと難解な近寄りがたい感じがするが、先入観や偏見にとらわれることなく、物事の本質に迫ることであり、また自らの問題として深く考えることだろう。その延長線上に社会の問題・課題に主体的に取り組む行為が出てくる。哲学することなしに、つまり自らの問題として本質に迫ることなしに、学問は成り立たない。だから、諸学の基礎は哲学なのだ。