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ネット社会を生き抜くライフスタイルへ

 桑山さんが自宅にみえて、ネット環境の診断をお願いする。

携帯。スマホ。固定電話。自宅回線。テレビ。パソコン環境。家族。タブレット。電子メール。住所録・電話帳。予定表。写真・動画。日記・ブログ。講演資料。紙媒体。デジタル情報。アナログ情報。、、

コンテンツをすべてデジタル化し、クラウドで常時どこからでもアクセスできるようにする、という大きな個人プロジェクトを始動させる。ネット社会を生き抜くビジネススタイル、ライフスタイルの確立を目指そう。21世紀を生きるための必須の考え方とそのための技術だ。

 

「名言との対話」2月17日。松尾静麿「臆病者といわれる勇気を持て」

 松尾 靜麿(まつお しずま、1903年2月17日 - 1972年12月31日)は、運輸省航空庁長官および元日本航空社長・会長。佐賀県杵島郡若木村(後の武雄市)出身。九州帝国大学工学部卒。連合国軍最高司令官総司令部によって航空事業が壊滅的な打撃を受けた中、民間航空の再建に取り組んだことから戦後日本航空業界の父といわれる。

戦後、松尾は初代の逓信省航空保安部長、さらに初代の電気通信省航空保安庁長官として、GHQと粘り強い交渉を重ね、ついに1951年(昭和26年)1月、日本人の会社が航空事業を営むことの承認を勝ち得た。当時GHQ参謀の米国空軍大佐アレンは、松尾を「絶望の中の勇者」と呼び、彼の忍耐強い不屈の人間性を尊敬を込めて賞賛した。

運輸省航空庁長官をへて政府の特殊会社日本航空に入り柳田誠二郎の後を継いで二代目社長。後任は朝田静夫。全日空取締役、日本国内航空会長、東亜国内航空取締役相談役などを歴任し、日本航空会長。

「企業というものは社長一人が優れていても、たいしたことではないんです。全社員がそれぞれの能力を十分に発揮できるような、一人一人が気持ちよく働けるような職場づくりをしなければ業績は上がりません」

「祖先のこころうけついだ この空この地このからだ はえあるその名 若木のように 希望明るく手をとって つくるよい郷(さと)よい日本 」は、松尾が作詞した母校の武雄市立若木小学校の校歌の締めくくり部の言葉である。

私は1973年に日本航空に入社した。伝説の人・松尾静麿が亡くなった直後だったことになる。当時の羽田のオペレーションセンターの玄関には松尾の銅像があったように記憶している。社内で「臆病者といわれる勇気を持て」という言葉にはよく出くわした。天候が悪いときなど、何よりも安全を重視し、人から臆病者といわれても、安全に徹せて撤退せよ、退却する勇気を持て。この短い警句は現場の社員の胸に刺さった。