湯浅八郎記念館(国際基督教大学博物館)

湯浅八郎記念館。

国際基督教大学博物館にある、初代学長の湯浅八郎(1890-1981年)の記念館を訪問した。

同志社普通中学を卒業後、少年移民として単身で渡米。カリフォルニアの果樹園で働く。カンザス州立大学に入学し昆虫学を学ぶ。天涯無縁の苦学生としてイリノイ大学で博士号を取得。イリノイ州博物調査局に勤務。結婚し文部省在外研究委員となり。ドイツ・フランス・イタリアに留学後帰国。

34歳、京都帝国大学教授。45歳、同志社第10代総長。57歳、同志社第12代総長に再任。63歳、国際基督教大学初代学長。72歳、理事長。

湯浅八郎の大学人としての経歴は見事なものであるが、もう一つのライフワークがあった。それは柳宗悦が提唱した「民芸」である。39歳、京都第1回民芸展をみて感動し民芸品の研究と収集を開始する。その後も、民芸品関係の仲間と研究を続け、81歳では京都民芸協会の会長になっていいる。亡くなった年に民芸品コレクション7000点を大学に寄贈した。そのコレクションを展示しているのが、湯浅八郎記念館だ。この民芸品は、酒やたばこをやらないで、講演料と原稿料で集めたものだ。

買った湯浅八郎「若者に幻を」(国際基督教大学同窓会・91歳で刊行)で、湯浅のエッセイを読了すると湯浅の人生観がよくわかる。

 

若者に幻を

若者に幻を

 

湯浅は徳富猪一郎(蘇峰)と徳富健次郎(蘆花)のすぐ上の姉の子である。

猪一郎は新島襄を神のように考えていた。そして健次郎は癇癪持ちであったことを述べている。同志社国際基督教大学に関与しすることになったことに納得する背景がある。

  • 構想は恒に、スケールは宇宙大に、スクジュールは永遠の枠のなかで
  • 民芸に関する柳宗悦の言葉:「見テ 知リソ」。「知リテ ナ見ソ」
  • 民芸道。民芸道人。
  • 50年もしたら、おそらく日系市民が、アメリカ大統領候補者として、花々しく登場するであろうことを予言してはばかりません。
  • 恩人をもつことは人生の最大の幸福である。
  • 京大を去り、同志社に骨を埋める覚悟をきめてからは、私たちの受難史は始まったのであった。
  • (91歳)の私としての究極的な結論であるとか主張ではありません。なぜなら私は、人間の無限ともいうべき可能性を信じ、私自身にもまだまだ成長円熟を期待するからです。

この本で、湯浅はアメリカ社会の国際感覚の成人化に深い感動を覚えている。昔日の「アメリカ・ファースト」とか、「アメリカに不可能なし」といった若気のいたりともいうべき稚気は、跡方もなくなっており、アメリカは成人したと語っている。その後のアメリカは、ブッシュ時代の「アメリカ・ファースト」の奢り、トランプの「アメリカ・ファースト」といわざるを得ない弱体化など、変化してる。まだまだ成人化には至っていないようだ。

また、この本の中で述べられている新島襄の教育観は参考になった。私立大学の存在意義を示している。

「一国を維持するは決して二、三英雄の力にあらず、実に一国を組織する教育あり智識あり品行ある人民の力に依らざる可からず、是等の人民は一国の良心とも言ふべき人々なり、而して吾人は即ち此一国の良心と言うべき人を養成することを務めんとす」(同志社大学設立の旨意)

「其学生独自一己の気象を発揮し、自治自立の人民(立憲国民)を養成するに至っては是私立大学特性の長所たるを信じぜずんばあらず」

http://books.rakuten.co.jp/rb/14714445/

「副学長日誌・志塾の風」170308

  • EZCastProを201教室で試す。
  • 今泉先生にEZCastProの使い方を教えてもらう。テレビ投影。
  • 杉田先生:人事関係を中心に相談
  • 志賀先生:「万葉歌」
  • 杉本係長
  • 由利課長

「名言との対話」3月8日。水上勉西方浄土などはなくて、永遠にここは地獄である。それなら、地獄の泥を吸って滋養となし、私は長生きしたい」

水上 勉(みずかみ つとむ、みなかみ つとむ、1919年大正8年)3月8日 - 2004年平成16年)9月8日)は、日本男性小説家

ある編集者が「文壇へわらじ履きで登場してきた観がある」といったそうだ。中学をやっと出て、後は多くの職業遍歴を重ねている。日本農林新聞、報知新聞、学芸社、三笠書房日本電気協会、小学校助教、虹書房を起業、文潮社、日本繊維新聞、東京服飾新聞、洋服行商人。「霧と影」「不知火海沿岸」「海の牙」を経て中山義秀から「お前、人間を書け。人間を書くしかないぞ」と諭されて、「雁の寺」を書き、42歳で直木賞を受賞する。その後、亡くなるまで膨大な量の作品を書き続ける。

自伝を読んだ。20数年間電燈がなかったほどの貧乏。禅寺へ小僧として出家。食べ物の差別と兄弟子たちからの隠微な集団的いじめ。脱走。禅宗坊主の虚偽世界。京都府庁の雇として満蒙開拓少年義勇軍の募集と自らの応募。奉天で中国人虐待の生活。肺病となって帰国。多くの女たちとのこと。まことに不幸な日々である。壮絶な前半生の記録だ。

「若州一滴文庫」は水上が故郷の若狭に私財を投じて建てた文庫で、故郷の田園のど真ん中に広い敷地を買い取り、自分おの集めた本や資料、自著や生原稿のすべてを収めている。それをふるさとの子どもたちに「本を読め」という思いをこめて贈った。私家版の水上勉記念館である。

水上勉がたどり着いたのは、冒頭の地獄論の心境である。生きることと死ぬことを対立的に考えず、今、ここにあることが生命の全体だとも語っている。壮絶な人生を生きたこの苦労人は、「ただひたすら生きよ」と教えてくれる。