安岡正篤「人物を創る」--小学と大学

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安岡正篤実「人物を創る」のオーディオブックを聴き終わった(読了)。

人間学講話シリーズ。「小学」と「大学」を講義。 本も注文。

小学は、日常の立ち居振る舞いを論じたもの。聖人の善行や箴言、実践的教訓。

大学は、経学(思想)を学ぶ。修己治人。「論語」「孟子」「中庸」とあわせて四書。三綱領「明徳」「親民」「至善」。八条目「格物」「至知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」。

 

「副学長日誌・志塾の風」170309

  • 事務局との定例会議:本日から杉田次期学部長も参加。学科交流。SGS人事。大学院入学者。非常勤教員。事業計画。予算。職員採用。、、、。
  • 一般入試三期:本部詰め。安田SGS学部長、太田SGS入試委員長、下井先生、栢原入試委員長、森島入試課長らと言葉を交わす。
  • ラウンジ:杉本係長より来年の戦略会議の件。
  • 常見先生:「青春記」談義

 

「名言との対話」3月9日。梅原龍三郎「葬式の類は一切無用のこと。弔問、供物の類はすべて固辞すること。生者は死者のためにわずらわさるべきにあらず」

梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年明治21年)3月9日 - 1986年昭和61年)1月16日)は、日本の洋画家。ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術琳派南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。

日本近代洋画を代表する梅原龍三郎は20世紀初頭にフランスの国民的画家となっていたルノワール(1841-1919)との出会いから、終生彼に師事していた。20歳で渡仏した梅原は南フランスのルノワールの自宅・アトリエを訪問し親しくなる。その時「さあさあ奮発せん。私は彼に見られるに値する。私は彼の芸術をあまりに愛する。彼はそれを知らねばならぬ。」と自身を励ましている。

5年間の留学中、世界的巨匠に学ぶという得がたい経験をする。そして帰国後も梅原は日本にルノワールを紹介し、またルノワールと手紙のやりとりを続けている。37歳の年齢差であったルノワールと梅原の師弟関係は、魂の触れあった美しいものであった。

「個性がないと絵もそれを見る人間の目を引かない。個性を出した絵でないと人を打たぬし売れもしない。とはいっても、私はどんな小さな作品でも商品だと思って描いてはいないけどね」

梅原は帰国後、東洋(桃山・琳派・南画)と西洋(油彩画)の美の融合を目指し、絢爛な色彩と豪放な筆さばきでで装飾的な独自の画境を拓き、日本洋画界の重鎮となった。

家族だけの葬儀ですますことを遺言した偉人はいるが、その理由まで記した人はみかけない。遺言における葬儀の指示には、その人の人生観があらわれる。