大学院学位授与式。博士2人。修士24人。

「副学長日誌・志塾の風」170311

品川キャンパス

・学長と懇談。「万葉歌の世界」を手交。

大学院学位授与式。博士2人、修士24人。

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  • 寺島学長:知の再武装。努力できる人たち。全体知。つながり、ひろがり、ふかさ。人的ネットワーク。中年の危機。使命感と出会い。これから10年、ものすごい変化。生身の人間力
  • 田村理事長:経営実学。仕事で活かす。
  • 徳岡研究科長:論文は一つの大仕事。仕事だけでは仕事さえも出来なくなる。知をつなげていく知。知の交差点。人生100年、3つの仕事。エクスプローラー(探検家)。インディペンデント・プロデューサー(自営業)。ポートフォリオ・ワーカー。
  • 坂西同窓会副会長:同窓会の3つの窓。同期。先輩・後輩。先生たち。
  • 福本院生代表:社会に役立てて。
  • 村上修了生代表:食肉業界の新ビジネスモデル。やり抜く力。知恵を力に変えていく。
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・理事長と懇談

・謝恩会にも参加

 

「名言との対話」3月11日。石牟礼道子「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。、、、、上から順々に四二人死んでもらう。奥さんに飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」

石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年3月11日 - )は、日本作家熊本県天草郡河浦町(現・天草市)出身。水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始した。

冒頭に掲げたのは昭和43年から始まった水俣病患者互助会と新日本窒素(チッソ水俣工場との補償交渉でチッソからゼロ回答があったときの、患者たちの吐いた言葉である。石牟道子「苦海浄土 わが水俣病」にある。石牟礼道子はそれは「もはやそれは、死霊あるいは生霊たちの言葉というべきである」と記している。因みに鎮魂の文学「苦海浄土」は第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、石牟礼道子は受賞を辞退している。

何もなかった状況に戻って、失われた日常を取り戻すことが、患者や家族たちの本当の願いだ。それがかなわないから補償という次善の策になった。それでも償おうとしないことに当事者も、そして石牟礼も怒りを持つのだ。3月11日は、奇しくも東日本大震災の起こった日である。原発の災禍に見舞われた人たちの姿がだぶって見える。石牟礼道子の仕事は尊い