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佐倉順天堂記念館

佐倉順天堂記念館を訪問。

順天堂とは、「天の道にしたがう」、つまり自然の理に従うという意味である。

「佐倉順天堂」は1843年(天保14年)に蘭医・佐藤泰然が蘭医兼外科の診療所として創設したものである。当時の佐倉藩主は「西洋堀田」とあだなされる蘭癖大名・堀田正睦だった。「日新の医学、佐倉の林中より生ず」といわれた。

順天堂は、歴代にわたって人物が継続して出ているのに驚いた。実子を後継者とすることにこだわらず、医者として有能な人物を選び養子とすることが代々受け継がれている。これが順天堂の発展の大きな要因であった。そして実子も人物が多い。2000坪の敷地。

  • 佐藤泰然(1804-1872年):進歩的で行動力に富む人物。オランダ語の習得、書物による勉強、そして実際の診療に役に立つ知識・技術の習得をめざす教育を行った。渡辺崋山とは蘭学者仲間。
  • 佐藤尚中(1827-1882年):優秀な弟子。養子。漢方医を廃し蘭方医学に一本化。下級藩士、領民救済のため佐倉養生所を設立。製剤の統制。
  • 佐藤瞬海(1843-1911年):養子。近代的病院としての体裁を整えた。
  • 佐藤恒二(1878-1952年):婿養子。ヨーロッパ留学。病院の整備。順天堂分院。日本医史学会理事として医学史研究。佐倉順天堂の重要蔵書の散逸を防ぐ。
  • 佐藤進(1845-1921年):ドイツ留学。初のベルリン大学の学位取得。アジア初、日本初の医学博士。日清・日露戦争の陸軍軍医総監。李鴻章の治療。大隈外傷の治療。男爵。
  • 松本良順(1832-1907年):佐藤泰然の次男。幕府医官松本良裏の養子。長崎でポンペの片腕として活躍。幕府医学所頭取。初代陸軍軍医総監。牛乳と海水浴をすすめた。貴族院議員。男爵。吉村昭「あかつきの旅人」司馬遼太郎胡蝶の夢」。
  • 林董(1850-1913年):佐藤泰然の五男。幕府医官林洞産海の養子。外務次官、ロシア公使。1902年イギリス公使として日英同盟を締結。外務大臣逓信大臣。伯爵。
  • 佐藤志津(1851-1919年):佐藤尚中の長女。佐藤進と結婚。女子美術学校校長。女子教育は発展の功績により勲六等宝冠章を受ける。

 

 

「副学長日誌・志塾の風」170316

  • 多摩大目黒高校の卒業式に出席。来賓挨拶。「外的世界の拡大」「なぜ勉強するのか」「多摩大」「目黒高校の伸び日本一」「多摩大改革日本一」「多摩大型高大接続アクティブラーニング」「人生100年時代」「古河市兵衛」「阿久悠」「人生は読書」、、。終了後、田村理事長、朗進会、父兄会の方々と懇談。副校長、総務部長、松井先生、、、。
  • 日本地域社会研究所を訪問。高野課長。JMAの池淵さん。「名言との対話」「多摩大の奇跡」、富士宮、ジモト、、、、。

 

「名言との対話」3月16日。若乃花(初代)「相撲道は辛抱して自分で切り開いていくもの、誰も手とり足とり教えてくれはしない。15尺の土俵。あの中にはなんでも落ちている。女房、金、ダイヤモンド、全てがある。全人生がある」

初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、第45代横綱。身長179cm、体重107kg。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。引退後二子山部屋を創設し、弟である大関初代貴ノ花横綱2代若乃花横綱隆の里大関若嶋津らを育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。第65代横綱貴乃花、第66代横綱若乃花は甥。

青森武道館の「花田勝治展示コーナー」では、「土俵のけがは土俵の砂でなおしてゆくんですよ。けがをするたびに休んでいたんでは勝負師にはなれませんね」という言葉を見つけた。

子どもの頃、相撲の巡業が故郷に来たことがある。小学生だった私は、若乃花のファンだった。横綱栃錦横綱若乃花の相撲を見て興奮して応援したことを思い出す。

土俵の鬼・若乃花は、小さな土俵には人生の全てがつまっているという。土俵のけがを土俵の砂でなおしながら、すべてを掴み取った男の名言である。