とちぎ歌麿館。
江戸時代中期の浮世絵師・喜多川歌麿と栃木市のゆかりを中心とした記念館。
蔵を活かした記念館では歌麿とその時代の狂歌や浮世絵などの関連資料を展示している。
喜多川歌麿は1806年に没していることはわかっているが、生年はわからない。
栃木の豪商・善野家と親交があった。善野家で2007年から2010年にかけて3つの肉筆画が発見された。女達磨図、鍾馗図、三幅神の相模図。
有名な「雪月花」は、深川の雪、品川の月、吉原の花を題材としている肉筆画の大作だ。ここ栃木に滞在して描いたと想像される。本物は岡田美術館にある。
「雪」は、深川の茶屋の2階。芸者遊びをする女たち。
「月」は、品川の妓楼。前帯、打ち掛け。三味線・琴・胡弓を奏でる。手紙を書く。遊びをする女たち。
「花」は、吉原が題材。
3つ全てが女たちのみの肉筆画であり、珍しい。
喜多川歌麿は版元蔦屋重三郎と近く、狂歌絵本に優れた手腕を示した。また美人画の大首絵では官能美あふれる表現で一世を風靡している。江戸を遠く離れた地方では江戸絵の名人としては歌麿があげられていた。「絵本太閤記」で幕府の禁忌に触れ牢屋に入れられた。
帰りに近くの 栃木市役所のロビーに展示されている大きな「花」をみた。
「副学長日誌・志塾の風」170327。
午後。
・杉本係長:戦略会議「入試」
・高野課長
夜は品川の大学院。
・野原さん
・滝川課長:46人。
「修士論文基礎講座」の初回の講師をつとめた。テーマは「図解・修士論文の書き方」。
以下、アンケート。
・今年の秋卒業の予定なので今論文を書いています。難しくて、書けば書くほど自分もわからなくなりました。今日は先生の講座を聞いて素晴らしい方法だと感じました。論文が書きやすくなるというより、論理的な考え方の訓練になると思いました。体験したいと思っています。すごく役に立ちます。
・去年も受講したのですが、論文に取りかかる前だったので、実感がありあせんでした。論文のためにデータを集めていますが、思うように進んでいません。再度受講したことによって、自分の論文の図解に取りかかる、マインドの切り替えに役立ちました。
・図解は文章を書く技術を超えて、考える技術であると感じました。ものごとの関係性をとらえるには長い文章だと大変に難しく、あやふやなことになると日頃から感じていました。ぜひこれから図解を学び、新しい関係性を発見していきたいと思います。
・図解にして全体の構造(システム)を文章に落とすだけで論文が書けるから難しさがない。全体の関連性、重なり、大きさなどがクリヤになり、仕上げるのも、計画段階で担当教授と話をしても理解しやすい。コミュニケーションロスも防げる。そういうことを学びました。先生のホームページのようなものを私もつくりたい。モチベーションが上がりました。
・表現に踊らされず、内容重視でいきたいと思います。
「名言との対話」3月27日。高峰秀子「現場で働く人間にとって、何より嬉しいのは、同じ現場の人間に慕われること」
高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - 2010年12月28日[1])は、日本の女優、歌手、エッセイスト。
天才子役スターから始まり、木下恵介、小津安二郎など日本映画界の巨匠の作品に数多く出演。女優引退後はエッセイストとして活躍した。「わたしの渡世日記」では第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているほどの名手でもあった。
熱心に本を読む人だった。高峰は小学校に通算して一ヶ月余りしか通っておらず、学校教育というものを受けることが出来なかった。答えは「劣等感ですね」だった。その劣等感をバネに勉強した人である。
高峰秀子は「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」「名もなく貧しく美しく」などの映画の主演女優として活躍したのだが、人を見る目、本質をつかむ力がそれを支えていたのだろう。冒頭の「現場」の真実を言い当てる言葉には、高峰秀子の知性と人間性が垣間みれる。現場に問題があり、現場に仲間があり、そして現場に答えがあるのだ。