写真俳句か、フォト575か、、、。

 森村誠一写真俳句のすすめ」(朝日文庫)を再読了。

 写真と俳句が一体となった写真俳句はいいかもしれない。

人生の記録として凡句を重ねよう。

森村誠一の写真俳句のすすめ

 ・写真を撮り、あとでじっくり観察して俳句をつくる。

・俳写同格

・時間と空間

・悠久の歴史。深遠な心理描写。

・句会にはでない。他人の句を批評しない。名句をたくさん読む。歳時記に親しむ。俳句は足でつくる。

・句境は持続性がある。句材は至るところに。

俳人にとって俳句に勝る人生の記録はない。人生の記録であるから凡句でも構わない。

写真俳句の特徴は、抽象化の極致である世界最短詩型の俳句と、具象的な写真をジョイントしたものである。

・350年近い歴史の俳句と最先端の機器を合体して写真俳句をつくる。

・人事。日常。旅。アウトドア。1万歩。

 

 マスターズでガルシアが初優勝。

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 来し方が 波紋のように 広がりて

 

 喫茶店の棚

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 旧き物 想い出それぞれ 場所を占め

 

レストランの外で食事をする親子

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連翹や  赤とブルーの 母と子に

 

結婚式場の外で記念撮影

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ドレス白 春幾たびか 何色に 

 

改めて眺めてみると、そうだ、季語がない。フォト575か。

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「366名言」は4月ー8月の校正が終了。

 

「名言との対話」4月10日。永六輔「人と一時間話をすれば、厚い本を一冊読んだのと同じくらい何かを得るものだ」

永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日[2] - 2016年7月7日)は、日本のラジオ番組パーソナリティタレント随筆家。元放送作家作詞家である。

永さんは前立腺がん、パーキンソン病で、一時ろれつが回らなくなった。人は得意なところがやられる、ということを想い出した。ビジネスマン時代に何度かお会いしているし、私の母が作曲家の中村八大と幼馴染だったことも話題になり、親しみを感じている。永さんとは富田勲先生との小旅行の途中の秩父駅で偶然会ったこともある。永さんは奥様を先に亡くしていて、それを詠んだ俳句がいい。

 看取られるはずが 看取りて 寒椿

「人間、出世したかしないか、ではありません。卑しいか卑しくないか、ですね」

「人間、今が一番若いんだよ。明日より今日の方が若いんだから。いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ」

「いいですか。 夫婦ったって、アカの他人ですよ。 アカの他人どうしが起こす奇蹟。 それが夫婦というものです」

「家庭というのはこんがらがった糸ですよ。 こんがらがってるから家庭なんです。 ほどくとバラバラになっちゃいますよ」

「 人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 そう僕は思っています」

永六輔『大往生は』戦後の岩波新書の売上げトップに立ったことを聞いて驚いたことがある。確かに人生の機微を普通の言葉で表現する天才だった。人と話をすることで得るものは実に大きい。読書と読人で行こうか。