初めて知った中津の洋画家系譜--吉田達麿。吉松慎司。糸園和三郎。中山忠彦。熊谷九寿。武田由平。

中津市木村記念美術館。

吉田達磨と吉松真司、響きあう感性、描き続けた生涯」展。

二人の競作。同じテーマで違う絵。

吉田の「風が先 遠山」。吉松の「風が先 柳橋」。

 

 吉田達磨。1910年豊前市生まれ。

13歳、旧制中津中学に転校。18歳、美術を断念。22歳、京都大谷大で国史学。24歳、卒論は田能村竹田。25才、京都日日新聞。26歳、春陽会展に入選、画業一本に、郷里にアトリエ。31歳、吉松慎司と交流開始。33歳、文展無鑑査、結婚。34才、扇城高女の歴史教師に。35歳、戦争で左手を失い。吉松夫妻と豊前市で共に生活。36歳、日展審査委員。50歳、親鸞聖人旧跡巡拝、聖跡写生図鑑16巻制作行脚、吉松とスケッチ旅行。54歳、インド、ライ、ミャンマー、ネパール旅行。61才、再度のインド旅行。70歳、「吉田達麿画集」を出版。84歳、永眠。

印象に残った絵:仏像。印度のこども達。牡丹。薔薇。

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 吉松慎司。

1916年、中津生まれ。18歳、旧制中津中学卒業。22歳、小学校に就職。23歳、退職し家業に従事、文展初入選。25歳、扇城高女の美術教師。26歳、日本水彩画会会友。29歳、結婚、豊前市に入植。30歳、文化村構想。32歳、小倉高校の美術教師。37歳、北九州水彩画会初代会長。60歳、小倉高校を定年退職。76歳、最後の対策。78歳、永眠。

印象に残った絵:楽人。舞姿。雷神。芝居。バイオリニスト。

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f:id:k-hisatune:20170417163735j:image 資料室で 中津には洋画家の系譜があることを知った。

糸園和三郎:1911年生まれ。小卒。11歳、骨髄炎で手術。30過ぎまで入退院を繰り返す。16歳、上京、兄の家に寄宿、中津への帰省時に「絵でもやったらどうだ」とすすめられ川端画学校に通う、しかし画家志望ではない。18歳、前田寛写実研究所に入所。19歳、春陽会で入選。20歳、画家志望が固まる。35歳、結婚。28歳、美術文化協会(福沢一郎)に創立参加、二科会・独立のシュールレアリズム・抽象を目指す。32歳、戦争で家族を中津に疎開させる。34歳、東京大空襲で全作品を消失。47-48歳、脳動脈瘤、手術をやめ退院。89歳没。

 

中山忠彦:1935年生まれ、中津西高卒。永遠の女性像を描く画家。19歳。日展に初入選。日展、白日会展で特選、内閣総理大臣賞。1979年、紺綬褒章

 

熊谷九寿:1908年中津生まれ。国画会の重鎮。日本独自の美を求めた。旧制中津中学の3年時に自性寺の池大雅の書画に感動首位、画家を決意。1927年、関西美術学校入学。1941年、中津へ疎開。1944年、上京。1962年、渡欧。84歳、没。

 

武田由平:1892年岐阜生まれ。17歳、小学校の準教員。18歳、岐阜県師範学校入学。22歳、卒業。小学校教員。37歳、中津へ転居、中津中学の図画教師。83歳、大分県教育功労者。89歳、中津市市民栄誉賞。1989年、97歳で没。中津夏祭」「八面山」など、

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「大地」で市議会議員の須賀留美子さんと懇談。

「青春記」と「万葉歌」の本を渡す。「万葉歌」の件で大分合同新聞社につないでもらう。和田記者。

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中津市立小幡記念図書館。 「久恒啓一コーナー」。

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 女性館長の宇野真理さんに挨拶。私を含め「郷土の作家」の部屋構想があるとか。

松下竜一1937年昭和12年)2月15日 - 2004年平成16年)6月17日 )は、日本小説家歌人。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。『松下竜一 その仕事』(河出書房新社)30巻。『ルイズ - 父に貰いし名は』で講談社ノンフィクション賞

小野不由美1960年12月24日 - )は日本小説家、同人作家。女性。京都在住。代表作はテレビアニメ化された『悪霊シリーズ』、『十二国記シリーズ』、『屍鬼』。2013年5月、『残穢』で第26回山本周五郎賞を受賞

 

 

「名言との対話」4月17日。渡部昇一儒教の教えでも仏教の教えでも神道の教えでも何だって構わない。あらゆるものが磨き砂になるんだ」

渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年昭和5年)10月15日 - 2017年(平成29年)4あら月17日[1])は、日本英語学者評論家上智大学名誉教授専攻英語文法

 渡部昇一先生の本は1976年のベストセラー「知的生活の方法」(講談社現代新書)以来、翻訳もの、歴史もの、時事ものなど、ずっと読み続けてきた。またビジネスマン時代には韓国での先生の講演にアテンドしたこともある。空の上から富士を見て喜んでおられたことを思いだした。ソウルでは天気がよかったが「ソウルの秋」という言葉があるとおっしゃっていたことを思い出す。

 20代から始めた著作は、82歳の現在で650冊まで積みあがっている。代表作は「知的生活の方法」。50年以上コンスタントに売れており総販売部数は累計で2400万部になる。定年前の65歳で上智大学を退職したのだが、それ以降の方が刊行数が多い。手書きと口述筆記で量産している。「インディペンデント」という言葉にこだわっている。それは稼がなくても食えるという意味。180坪の土地、そのうち書庫は100坪。 喜寿の77歳で2億円の借金をして巨大な書庫をつくり全蔵書を書棚に飾っている。音楽家となった娘や息子の高額な楽器を買うために若い頃から借金生活だった。

「私としても、恥など多くてもかまわないから、95歳以上は生きたいと思っている」「この先やることが何も思い浮かばない人は、仏教に手を出すのも一つの道だと思うのだ。」「時間は20歳の時には時速20キロで流れ、60歳では時速60キロで流れると感じられると考えればいいだろう」「ある国を知るひとつの方法は、その国でどんな本がベストセラーになっているかを見ることだと思う」「人の上に立つ人間ほど、朗らかで大らかで、寛容でなければならないと思う」

文科系は蓄積であり、高齢者に適しているのは、修養、人間学がいいと言う。私の人物記念館の旅も、その線上にあると思う。

向上心が高く、そして何より素直な人だと思う。人がいいといいものは何でも試してみている。健康についても関心が強く、あらゆるものに手を出している。また先人のいうことには素直に従ってみている。この人が、米寿、卒寿、白寿と年齢を重ねて、その都度何を言うか、楽しみにしていたのだが、本日86歳で永眠された。

冒頭の言葉にあるように、どういう分野でもいいから深入りすることだ、それが磨き砂になって、人は成長する。