幸田露伴「努力論」

幸田露伴「努力論」(岩波文庫)を読了。

 

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

 

 文豪・幸田露伴の厚みのある人生論。努力論というより日本を代表する幸福論だ。

運命。人力。自己革新。努力。修学。資質。四季。疾病。気。

こういうキーワードで事細かく生き方を論じた名著であり、首肯するところが多い。

 

最も読むべきは「幸福三説」である。惜福。分福。植福、これを三福という。

惜福とは、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいう。個人では家康の工夫。団体では水産業、山林、軍事。

分福とは、自己と同様の幸福を分かち与えることをいう。人の上となり衆を率いる人が分福の工夫をしなければ、大なる福を招くことはできない。分福は秀吉が優れていた。

清盛。ナポレオン。尊氏。福は惜しまざるべからず、福は分かたざるべからず。

植福とは、人世の慶福を増進長育する行為である。自己の福を植え、同時に社会の福を植えることだ。

「福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん、能く福を分かつ人はけだし福を致すを得ん、福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉」

 

・志を立てる。先ず高からんことを欲するのが必要で、さて志し立って後はその固からんことを必要とする。

・凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求むるならば、その人はけだし比較的に成功しやすい。

・天地は広大、古今は悠久。内からみると、人の心は一切を容れて余りあるから人ほど大なるものはない。外からみると、大海の一滴、大空の一塵、、、。

・春生じ、夏長じ、秋に自ずから後に伝わるの子を遺し、冬自ずから生活の閉止を現す、、

・世間の一切の相は、無定をその本相とし、有変をその本相として居る。

・、、変の中にも不変あり、無定の中にも定がある。

・願わくば張る気を保って日を送り事に従いたいものである。致大致正致公致明の道と我とを一致せしむるのが、即ち浩然の気を養う所以である。

 

 

「名言との対話」4月23日。上村松園「「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」

上村 松園(うえむら しょうえん、1875年明治8年)4月23日 - 1949年昭和24年)8月27日)は、日本画家。女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日本画家である。作品に「母子」「序の舞」「晩秋」など。著作に「青眉抄」。

松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者文化勲章を受章。松園の美人画花鳥画に置き換えた画風。上村淳之は上村松篁の長男で文化功労者。奈良の松柏美術館では、この三代の画家の作品と歴史に触れることができる。

「生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんなゆめさえもっているのである。ねがわくば美の神の私に余齢を長くまもらせ給わんことを!」

「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清聴はな感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」

「画を描くには、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます」

「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香りの高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである」

「真善美極致に達した本格的な美人画をを描きたい」

松園の天の啓示論は傾聴に値する。