学内で授業・ラジオ・ミーティング。学外で出版関係者と懇談。

連休まえのたて込んだスケジュールをこなす。

 

「副学長日誌・志塾の風」170428

多摩キャンパス

  • 午前:授業4回目。「私の大学生活、この1年」。
  • 昼:T-Studioでラジオ収録:橘川先生と対談。シンポ「参加型メディアの未来」がテーマ。
  • 午後:事務局との定例ミーティング:杉田学部長。宮地事務局長、水嶋課長。

東京

  • 夕方:出版社(PHP)の編集者と企画の相談(九段の文庫カフェ)
  • 夜:日本地域社会研究所(荻窪)で落合社長と遅くまで懇談

 

「名言との対話」4月28日。藤田喬平「作家というのは本当は六十からが勝負。自分の持ち味を出せるようになるんだ」

藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2004年9月18日)は、ガラス工芸家イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。1997年平成9年)文化功労者2002年平成14年)文化勲章受章。

「宗達光琳、彼らの素材にガラスがあったならいかなる作品を作ったであろうか」という問いを心に秘めて、桃山期の本阿弥光悦俵屋宗達らによって始まり尾形光琳らによって江戸期に完成した琳派様式をガラスという素材を使って新たに表現するという試みに挑戦した。それは「ガラスによる琳派」の実現だった。藤田は「この作品は私がつくったのではない。ガラス自らがつくったのだ」という境地に達している。

宮城県松島の藤田喬平美術館の開館時には「ヴェネツイアと松島は似ている。この水と緑の風景は、日本における私のライフワークの源である」と述べている。美術館には飾ばこ、カンナ文様の花器類、オブジェ、茶道具など、ガラス工芸の粋のすべてを見ることができる。また芭蕉が「扶桑第一の好風」とたたえた松島の絶景も館内から眺めることができるのもこの美術館の素晴らしいところだ。

冒頭の言葉の後には「若いうちは自己主張が強くなるが 人間を積み重ねることによって力を抜けるようになる 手を抜いているようで手を抜かない これが出来ないと、、、」と続く。藤田は1976年に日本ガラス工芸協会会長に就任するが、その翌年の1977年にはイタリアヴェネツイアに渡りガラス制作を始める。このとき、56歳。藤田は、「ベネツイアの恋」などベニス花瓶などの新作レース文様ガラス器を次々と発表して新境地を開いていく。「趣味なんか持っていたら、仕事なんかできないよ」と言いながら過去の自分の殻を破っていく姿には感動を覚える。藤田喬平は中年の危機をこのようにして乗り切って世界を相手に高みに登っていったのである。