読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

拙著「団塊坊ちゃん青春記」の感想が届き始めた。

団塊坊ちゃん青春記」の感想が届き始めた。

 

団塊坊ちゃん青春記

団塊坊ちゃん青春記

 

 

  • 青春記読んだよ!笑いすぎて、顔がひんまがった!ネタは尽きないだろうから、次作期待しています。(高校時代の友人)
  • 団塊坊ちゃん青春期」感想を図解でまとめたいのですが自信がありません。九州大学時代は痛快エピソードを「真面目」「不真面目」「中間」で分ける。(当事者は全て真面目に取り組んだと思いますが)キーワードは“探検精神”!、貴兄のお身体の隅々までこの精神は流れていますね。 布団のホッチキス、女子トイレペーパー泥棒、酒酔運転、ガス欠、友人にドッグフード、部室乗っ取り、探検定食などなど、よくこんなアイデアが出ますね。危ない橋をかなり渡ったのによくぞご無事でという感じです。大事なお身体、これからもお気をつけて! 猛者の女学生「友清さん」はお元気ですか? 食い逃げの三菱商事も印象に残ります。講演後名乗り出たとはまさに赤い糸、ややでき過ぎの後日談、彼も今は何処に? 破天荒な(失礼!)青春時代の中で、ひときわ光る「九州大学探検部巻頭言」と「シュールロマンチスト宣言」は格調高いです。言葉のリズムも素晴らしく、声を出して読みたくなります。青春時代の情熱が漲っていますね。そして哲学的で、凡人には理解不能な部分もあります。日航時代の論文は素人には少し難しい。いずれにしても、読後の爽快感を誰かに伝えたくて、中津市の東京駐在員(瀬戸口千佳さん)に著書を紹介しました。(高校時代の友人)
  • ウイットに富んだタイトル名からして、『坊ちゃん』や「マンボウもの」に親しんだ我々団塊世代だけでなくおそらく青春真っただ中の若者をも惹きつけることでしょう。「ヨコの会」のように君のネーミングのセンスには驚かされます。本書で「記録のないものは探検とは呼びません」と初めて探検と冒険の違いを知りました。「一つの仕事が終わったら、何らかの形で必ず記録を残す」という探検者魂の一端も先日の同窓会参加者の挨拶をメモに取る姿に垣間見させてもらいました。 第一部の「弟の迷惑」に私は「寮の自治委員をやっている」怖い?大男として実名で登場、「こら、久恒。お前、寮の石油倉庫のカギを返せ!」とそっくりな弟さんを「どなりあげた」とありますが、ジェントルマン?の私に限ってそんな筈はありません。これは話を面白くする創作か見知らぬ者の出現に驚いた弟さんの記憶違い?に相違ありません。とは言え、寒さにふるえる大勢の寮生のためとの大義を振りかざして、罪のない弟さんを驚か(怖がら?)せてしまった狭量な対応は恥じ入るばかりです。いまさらではありますが弟さんには失礼をお詫びいたします。それにしても寮に一宿一飯の恩がありながら倉庫の鍵をポッケに入れたまま姿を消して平然?としていたり、あろうことかわざわざ下宿先までその鍵を返してもらいに来た者を借金の取立て屋のように描いたり、自分の都合でブレザーの交換を言ってくる「始末の悪い」兄をもった二歳違いの弟さんには同情を禁じ得ません。本書には、「錯覚と幻想」の「自分さがし」から「自分づくり」に生き方や考え方を変えていった過程が、ユーモラスな事件や体験を交えて語られていますが、失敗や反省も率直で共感を覚えただけでなく、「足元を掘る」精進の姿にとても感動しました。特に「路傍の石」が、「ロンドン空港労務事情」提出や創立30周年懸賞論文執筆を経て、日航の久恒」や「日本の久恒」へと転化していく道程は、知恵(羅針盤と勇気をもって大洋に漕ぎ出し新大陸を発見した航海にも似ています。同時代に学び社会人となった私達にとっては嬉しく誇らしく、これから社会に漕ぎ出す青年にとっても大いに勇気付けられ参考となるに違いありません。最後にちょっと照れくさいけどもう一度言わせてもらいます。久恒君、抱腹絶倒それでいて真面目な青春記をありがとう!甘酸っぱくてほろ苦い学生時代が蘇ってきます。益々のご活躍を!(大学時代の友人)
  • 採用の仕事をしている内に、私の採用を決めた人が「この人を採用して良かった」と感じて貰えた時があっただろうかと考えるようになりました。入社前の一文を読み、採用者はきっと「シテヤッタリ!」と膝を打ったことでしょう。お褒め頂きましたが、小っ恥ずかしい文の上、誤字を発見。久恒さんの自由人ぶりがフィクションで無かったことだけは立派に証明しておりました。トルコのハマミ、イスタンブールで私は2回行きました!inteligentとintelectual、久恒さんの記憶にあるか不明ですが、後者を深めた生き方が実り豊か、、とかなんとか説いて下さり、私は1人観劇、1人観賞、果てはお一人様鮨、鉄板焼きetc,etc副産物として1人でも、やりたいことを楽しく出来るようになりました。最後に、久恒さんが「どんなに偉くなっても、人道に外れた行動をした人を私は認めない!」と言い放ったのですが、本当に失礼しました。家業を継ぐ為にお辞めになった舟崎さん、偉くなったところで役員だと豪語した久恒さん、早期退職せざるを得なかった素晴らしい諸先輩方が築くJALも見たかったかな。(JAL時代の同僚)
  • 偉人のどんな言葉よりも、「自分さがし」をやめて「自分づくり」を始めよ、は名言だと思います。(多摩大の学生)

以下、アマゾンン書評から。

  • これはヘンな本です。第一印象は「こんなこと大学の副学長が書いてもいいの?」「それも多摩大学出版会から出す本で!」いくら時効?とはいえ、今なら停学になりそうなアブナイ事件の数々を、大学時代の久恒くんはやらかしています。せっかく築いた?今の地位と名誉のお城の石垣を抜いて、わざわざガラガラ崩すような本なのです。そのココロは「多摩大生よ!もっとやんちゃになれ!青春を大胆に謳歌せよ!」でしょうか?それとも「お金なんかなくたって、贅沢しなくたって、かくも人生は楽しいぞ!」でしょうか?あるいは「社会人になってから何年もくすぶっていたって、ある時、突然ブレイクスルーできるぞ!」かな??さらにヘンなのは「編集しているよないないよなシャッフル本」だからです。久恒先生は、梅棹忠夫先生ゆかりの「知的生産の技術研究会」のリーダーで「図解の達人」「自分史の実践者」なのです。あのノート本著者で情報ガジェットおたくの美崎栄一郎さんが愛読するような著書を山ほど出しているのです。先生の頭の中では、どんな情報も、半ば自動的に情報は構造化・手順化され、美しく整理整頓され図解できているはず。それなのに、なぜあえて、青春時代の爆笑エピソードからオカタイJAL時代の論文まで、まるで闇鍋のように「ごった煮」した本を出したかったのでしょうか?久恒先生は、多摩大学大学院のインタビューで「名刺代わりに著書を持て!出版ノウハウ教えます!」と熱く学生に語っています。多摩大学 客員教授で、多摩大学出版会の活性化にも力を注ぐ橘川 幸夫さんとご一緒に、先生の熱い想いをお聴きしたこともあります。その「出版のプロがどんな本を出すのか」と心待ちにしていたのですが…意表をつかれました。でも...ますます久恒先生が好きになりました。実は、久恒先生は日本全国の有名無名の個人記念館・博物館・資料館めぐりをライフワークにしている「人物探求おたく」でもあるのです。お墓は要らないけれど、ネット上にブログなど自分のアーカイブ「デジタルお墓」を遺したいという想いで、意気投合したこともあります。で…将来、久恒啓一記念館のミュージアムショップにおかれるであろうイチオシ本が、あるいはデジタルお墓のバナーに掲げられる一冊が、「団塊坊っちゃん青春記」かと思うと、なんだか笑えます。…という訳で、この本「団塊坊ちゃん青春記」と久恒先生。あまりにこれまでのイメージとギャップがあるので取り扱い注意です。きっと久恒先生をよく知っている人ほど驚くでしょう。私は、この本を通じて云わば「無編集の編集=無作為の作為」という「禅」的な高みを目指したのでは…と勘ぐってもみたのですが…多分ハズレでしょう。実はこの本で自らカミングアウト?したように、ネイティブに「テキトー」だったのかもしれません。いずれにせよ、何度も講演を拝聴し、何冊も本を読み、いつもメルマガやブログを読み、さらには直接対話する機会がある大好きな人でも、その「人」の本質というものはわからないものであります。だからこそ「人物」の探求=リアルとネットでの深いおつきあいは面白く奥深いですね。2045年以降のAIがディープラーニングしても、なかなかつかめないものがあると思うと、なんだか痛快です。
  • 著者自身の青春期をまとめた内容となっている。現在の活躍を髣髴とするところが随所に散りばめられており、過去の原因がいまの結果へとつながっているのも、納得のいくところだ。ただ、ちょっと自慢めいた文章には…………。
  • この青春記は九州大学での探検部を中心としての学生生活から始まる。卒業後日本航空へ入社し羽田工場現場から社会人生活が始まる。札幌勤務、実務の中で自分の足元から考える。ロンドンでの異文化体験、成田での勤務を経て「知的生産の技術」研究会との出会い・結婚で締めくくる。学生にとっては、何者でない不安な自分である20代の学生時代を筆者の九州大学の体験を通して得るものが多い。社会人にとっては、労務担当としての仕事体験談が仕事の課題解決のヒントになる。最後に研究者にとっては、筆者が自然として取り組んでいる仕事の課題解決の方法論に、様々研究手法がバランスよく取り入れられている。筆者は、足元の仕事現場を通して探検部でのフィールドワーク・エスノグラフィー(民族日誌)を原点とする。常に現場での観察を通して考え・感じ・記録する手法が「知的生産の技術」・「文明の生態史観」著者の梅棹忠夫を彷彿させる。米国では、ハーバード・スタンフォード大学での経営学でエスノグラフィーという研究手法が使われ全く新しい知見が究明されている。筆者は、常に仕事場でテーマを見つけ研究しレポートとしてまとめ発表する研究姿勢がすばらしい。発表する研究レポートの研究手法においても比較研究・質的研究・定量的研究・歴史研究・人物研究等の手法をバランスよく行った上で現場の課題解決の取り組んでいる。その内容が詳しく創立30周年記念論文がこの青春記に記載され、改めて感服しました。筆者は、現在大学で副学長として大学教育と大学経営に尽力し、日本航空で体得した手法で次々と課題解決していったと想像できる。同じ大学経営者として明治・大正期の九州帝国大学初代総長山川健次郎、敗戦後東大総長南原繁宮城大学多摩大学事業構想大学院大学初代学長 野田一夫、国際教養大学学長 中嶋嶺雄岐阜大学学長黒木登志夫等の大学経営者と比較して筆者の人的バックボーンの特徴をこの本から読み取ることができる。彼らの共通する点は、海外による異文化体験と現場から感じ、実務を通して足元から問題を解決する現場主義にあるとこの本を読んで確信しました。

------------

町田国際版画美術館で「横尾忠則」展。

  •    
     
     
       
     
    「名言との対話」4月29日。仰木彬イチローをつくったのは俺だ!」

仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 - 2005年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手プロ野球監督(近鉄、オリックス)野球解説者

「よく食べられること、よく飲めること、よく眠れることというのは、ある意味では技術以上の素質です」

「山に登るルートはたくさんあるのだから、自分の成功体験を押し付けてはいけない」

「人生において大切なのは、引く時のタイミングであり、切る時のタイミング、そして攻める時は思いっきって、人目をかまわず攻めなければならないはず。」

「大阪に帰ってこい。おまえの最後の花道は俺がつくってやる」(清原に対して)

「野茂に怒られるのが怖いから変えんかっただけや」(野茂英雄選手のトルネード投法に対して)

「自分が一流になれなかったのは、若い時に遊びすぎたからだ。あとから気づいても遅いんだぞ。オレが悪い見本や」と言った仰木は、恩師の三原監督をもじって「仰木マジック」といわれる奇策を成功させた名監督であるが、人を育てるマジシャン(魔術師)でもあった。野茂英雄長谷川滋利イチロー田口壮などは仰木が育てた大リーガーだ。孤高の天才・イチローは「僕の唯だ一人の師匠」と記者の質問に答えている。確かにイチローを育てたのは仰木彬の最大の業績かも知れない。