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「歌川国芳 21世紀の絵画力」展(府中市美術館)--公式図録が素晴らしい

午後から府中芸術の森にある府中市美術館にでかける。

歌川国芳 21世紀の絵画力」展。

混んでいたが、この美術館はじっくりと観賞できるように、入場制限をしながら人を順次入れていく。あせらずにじっくりと観ることができた。「これぞ国芳!」決定版とあるだけあって、量と質とも充実していた。

2010年に府中美術館で開催された「歌川国芳--奇と笑いの木版画」展も見ている。10代で歌川豊国の弟子となり、30代で人気絵師になるという遅咲きの人という薄い印象しかなかったが、7年経ってこちらの構えも違っているせいか、国芳の現代的なスタイルに感銘を受けた。

歌川国芳は、豊国門下で、兄弟子は国貞(三代豊国)。41歳の頃、河鍋暁斎が7歳で入門している。国芳の画風を暁斎が展開したのだ。

美術館などの企画展では必ず厚い「公式図録」を買うことにしている。その図録もずいぶんとたまってきた。今回の「国芳」展の図録は、今まで手にした中で、もっとも力が入ったものだった。通常は、最初と最後に若干の論考があり、後は絵画作品を並べて終わりというものが多いが、今回は全く違う。説明文が実に多いのだ。企画展を企画した人たちの意気込みを強烈に感じさせる。おざなりの企画展ではなかった。美術王国・日本でもこのようなスタイルが浸透してくれば、さらに日本人の芸術鑑賞力はアップするだろう。

 

17時からNHKBSで「ヒトラー 最後の日々」を観た。2016年6月9日の再放送。

1945年4月にヒトラーが自殺を遂げるまでについて側近たちが語ったインタビューが米国の図書館に眠っていた。孤独な独裁者と、将校、愛人、忠臣たちの最後の日々。

ヒトラーの死体は側近たちの手で焼かれたため、「実は生きているのでは」といった陰謀論が消えなかった。ニュルンベルク継続裁判の判事・ムズマノは、独裁者の死を立証するため側近たちの証言を記録していた。地下壕に隠れたヒトラーソビエトのベルリン侵攻に怯え、忠誠を貫いたゲッペルス一家は服毒自殺を遂げ、自殺を決意したヒトラーは愛人のエヴァと結婚式を挙げる。ヒトラー最後の日々が、証言とドラマによって浮かび上がる。」

ベルリンの地下壕での独裁者・ヒトラーの最晩年が側近たちの証言によって臨場感あふれうタッチで描かれている。盟友ムッソリーニが捕まり、処刑後にミラノの広場で逆さづりに吊されていることをヒトラーは知っていた。そういう姿を見せたくなかったため、エヴァと一緒に自殺した遺骸をあとかたなく周到に焼いてもらう。

 

「名言との対話」5月4日。森繁久彌「「芸人とは、芸の人でなく芸と人ということではないか、、、、」

森繁 久彌もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本俳優歌手コメディアン、元NHKアナウンサー昭和の芸能界を代表する国民的名優。

この人はただの俳優ではなく、極めつけの文化人だった。44歳で処女作を発表以来、主要著書は54冊にのぼっている。そのうち、還暦を過ぎた63歳以降の著書が43冊と多いのも特徴だ。

「女房やセガレがどんなにボヤこうが、私はあくまで一世一代で、すべてが私と共にあり、私と共に無くなるのである。」

「目下開店中の八百屋のような万うけたまわりの芸術屋(アルチザン)を整理して、新しい冒険に船を漕ぎ出さねばなるまい。このまま立ち枯れるには、まだチット血の高鳴りが邪魔になる人生五十年である」

冒頭の言葉の言葉の後には、「なべて『人』」を失っているかの感なきにしもあらずだ。人が人たるを失って、世の中に何があろう」と続く。映画や芝居などより、実際の人生の方がおかしく、切ない。その人生から学びながら人をつくっていく。どのような職業も「人」が重要だが、人生を表現すことを生業とする役者は、見る人が役と人とがないまぜになってみているから、特に「人」が重要なのだ。遅咲きの国民的俳優・森繁久彌はその機微を知っていた。