長池公園の自然館。ボタニカルアート展。安江梅子「野の花・蘭の植物画展」。
定年退職後、NHK学園で学び、ボタ二カルアートの世界に入った安江さん(79歳)は、賞をもらったり個展を開いたりするまでになっている。高齢社会のモデルだ。
ボタニカルアートにはいくつかの約束がある。等身大に描く、根元まで描く。一つの作品に4ヶ月かかる。見事な作品群。写真はもっとも気に入っている「ミズキ」の絵画。こういう作品は自宅に飾ってみたい。来年東京で頒布会があるので、小さな作品を手にしたい。
ミズキ
八王子古本まつり。春と秋に開催。
20いくつの古本屋が斜めに走るユーーロードで長い古本市を開催している。中央線沿線には古本屋が多い。八王子には3軒。秋にも開催するそうなので、また来たい。
11冊で4000円ほど。古本は安いなあ。
津村節子は芥川賞作家であり、夫君はファンでもある亡くなった吉村昭。
作家の配偶者など家族が書くエッセなどには日常の姿やクセ、信条などが語られることが多いので、吉村昭のことも知るべく四だ。
「神経質」「思い立つと待ったのきかない夫」「決めたことは守る」「カボチャが好き」「旅先での買い物は食べ物に限られる」「鍋ものが好き」「自分の足で歩いて取材しなければ気がすまない」「書きたいことが限りなくあって1年でも長生きしたい夫「新宿、上野、浅草あたりをうろついている」
東北の美しい海岸線を一望に見渡せる小さな岬を買って、仕事場を建て、ここの住人になる予定だとあるが、実現する前に、吉村昭は世を沙去った。
日経新聞の「私見卓見」に多摩大入試課の高部大門さんが投稿している。テーマは「アクティブ・ラーニング」だ。アクティブラーニングブームへの警鐘。「多摩大職員」という肩書きでの投稿であり、こういう動きは素晴らしい。
「名言との対話」5月5日。塙保己一「命かぎりにはげめば、などて業の成らざらんや」
塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日) - 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者。『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。総検校。贈正四位。
7歳で失明。菅原道真公を守護神。賀茂真淵門下。36歳から41年かけて「群書類従」670冊(25部門)を刊行。76歳で死去。群書類従の完成によって貴重な書物の散逸がまぬがれたから功績は大きい。塙保己一史料館(社団法人温故学会)にある桜の版木は17.244枚に及ぶ。彫師・刷師、、。「群書類従」は塙保己一の死後200余年も事業が継続しており既に蒐集は70万冊に及ぶ。温故学会は塙保己一の遺志を継承して大成することを目的として1909年公益法人化した。渋沢栄一は発起人の一人で、この立派な温故学会会館の設立にも同郷の渋沢栄一の援助をしている。
3重苦のヘレンケラーが1937年に来館。視覚障害者教育に携わっていたグラハム・ベル博士(電話の発明者)から塙保己一のことを聴いて頑張ったという逸話がある。ヘレンは「子どもの頃母親から塙保己一先生をお手本にしなさいと励まされた」と述懐している。1冊でも頒布している。
『群書類従』の作成にあたり、20字X20行の400字詰に統一していた。これが400字詰め原稿用紙のになった。
塙保己一は本を人に読んでもらってそれをすべて覚えていたという。15歳で江戸に出て、衆分、29歳勾当、37歳検校、75歳総検校に進む。盲目でこのような事業を完成させたことに感銘を受ける。
夜に講義をしているときに「目あきというのは不自由なものじゃ」と言ったいいう逸話も残っている。塙保己一は、身の不幸を嘆き自殺を考えたが、命の限り励めば、出来ないことはないと思い直し、盲目の身でハンディをものともせず大事業を完成させたのである。