『意識はいつ生まれるのか』--脳と意識をめぐる統合情報理論

 マルチロ・マッスイミーニ:ジュリオ・トノーニ『意識はいつ生まれるのか』(亜紀書房)を読了。

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

 

脳は意識を生み出すが、コンピュータは意識を生み出さない。両者の違いは何かを探り、「統合情報理論」に至るプロセスを丹念に追った2013年の本の翻訳作品。

基本命題:あるシステムは、情報を統合する能力があれば、意識がある。

公理1:意識は無数の他の可能性を排除した上で成り立っている。

公理2:意識は統合されたものである。

公理3:意識を生み出す基盤は無数の異なる状態を区別できる統合された存在である。ある身体システムが情報を統合できるなら、意識がある。

個別のシステム(視覚系、聴覚系、触覚系、、。システムの中に下位の形や色を見分ける部位がある))がばらばらに存在しているなた統合されていないから意識はない。それぞれが専門化されながら、完全に統合されているなら意識はある。身体で意識があるのは、視床ー皮質系のみだ。

刺激を受けた感覚が完全に意識にのぼる「には、0.3-0.5秒かかる。情報が高いレベルで統合されるには時間がかかることを意味している。

一(いち)なる組織には、各要素間に因果関係がある。情報を統合できるシステムのあるところに意識あり。

この本を読んで、「脳と意識」をめぐる最初の疑問は晴れたが、二つの疑問が残った。

1:この本でいう意識は、心とどういう関係にあるか?

2:組織のような非身体システムでも、統合されていれば意識があるということか?

-----

水泳300m

スタートレック1本。

----------------------

「名言との対話」5月8日。高山彦九郎「朽ちはてて身は土となり墓なくも 心は国を守らんものを」

高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日1747年6月15日) - 寛政5年6月28日1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である。

13歳の頃、「太平記」を読み、南朝の遺臣が建武の中興の志を遂げられなかったのをみて憤り、尊王の志をおこす。18歳で置き手紙を残し上京。21歳、山陽道で管茶山に会い、閑谷学校を訪問。24歳、細井平洲(上杉鷹山の師)に入門。40歳、祖母りんが没し、3年間喪に服す。43歳、江戸で前野良沢に出会う。44歳、林子平。46歳、筑紫の旅で、中津に3ヶ月ほど滞在。47歳、久留米で自刃。

27歳から47歳で亡くなるまでの21年間の日記では、蝦夷地と四国以外の日本中を旅したことが記されている。有名、無名の交遊は5千人に及ぶ。記念館では公家、儒学者、無名の人々などその交遊の広さに驚いた。高山彦九郎は今で言うネットワーカーだったのだ。ネットワークをつくり、つなげながら、自らの思想を練り上げ、日本の中に伝播していった人である。知的武者修行でもある。旅の思想家だった。

土地の歴史を調べそこで善行をした人の魂を認め、褒め、それを書き残す。その土地の優れた人を掘り起こす。親の敵を討った人、農業のやり方を発明した人、洪水を防ごうと工事をした人。、、高山彦九郎は質問し、その土地のよいところを引き出す人だった。だから誰もが彼を信頼する。

細井平洲を師と仰ぐ高山彦九郎は、足利幕府以来の武断政治を仮の姿とし、朝廷による文治政治が日本本来の政治の姿であるとの確信を持っていた。そのことは徳川幕府に対する疑念となる。それは反幕の思想であった。この考え方は日本国内に深く浸透し「尊王攘夷」という思想を産んだ。それが明治維新に連なっていく。