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「タウンマガジン なかつ」に母と私の記事

中津から「タウンマガジン なかつ」という雑誌が届いた。5月号。

この中に、私と母親の二人の記事が載っている。「母親と長男が同時期出版」という見出しだ。母親がインタビューを受けて記事になったもの。

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オーディオブックで丸山真男「日本の思想」(岩波新書)を読了。

 前々から関心を持っており、取り組まなければならないと考えていた「日本思想史の包括的な研究」が貧弱であることがよくわかった。これはやはり難しい問題だったのだ。

丸山は世界の思想の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにすでにあるという。『日本の思想』では、「全体」「構造化」「立体的」「配置」「試図」、、、というキーワードがでてくる。

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

 

「まえがき」から。

・時代の知性的構造や世界観の発展あるいは史的関連を辿るような研究は甚だ貧しい。

・日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとらえようとすると、誰でも容易に手がつかない

・まるごとの社会的複合形態でなくして一個の思想として抽出してその内部構造を立体的に解明すること自体なかなか難しいが、たとえそれができても、さてそれが同時代の他の諸観念とどんな構造をもち、それが次の時代にどう内的に変容して行くかという問題になると、ますますはっきりしなくなる。

・自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった

・問題はそれら(あるゆる思想の断片)がみな雑然と同居し、相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向判然としていないところにある。

・あらゆる哲学・宗教・学問を「無限に抱擁」してこれを精神的経歴のなかに「平和共存」させる思想的「寛容」の伝統

 

「あとがき」から。

・「外来思想」の移植と「伝統」思想の対応形態といったものを全体として問題にし、そのなかで個々の思想を位置づけることなしに、、、

・およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにストックとしてあるという事実、、、

・私自身としてはこうして現在からして日本の思想的過去の構造化を試みた、、、

・「日本の思想」は、、、思想史的な構造をできるだけ全体的にとらえて、、、それらの問題の「伝統的」な配置関係を示そうという文字通りの試図にすぎない。

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 「副学長日誌・志塾の風」170509

多摩キャンパス

・秘書とスケジュール調整、授業準備など。

・杉本係長:大学戦略会議の打ち合わせ

・高野課長:打ち合わせ

・森島入試課長:数字

・野田先生から電話:卒寿の会

 

湘南キャンパスでグローバルスタディーズ学部の学部運営委員会(新メンバー)に参加。

・卒業研究。教職の学校推薦。退学者数・休学者数。準内定。チャレンジ枠。就職の出足。藤沢市商工会から地域貢献賞。

・私から「多摩大出版会」「多摩大モデルの本」「課長の副委員長」など。

 

「名言との対話」5月9日。金子鷗亭「芸術には進化はないんです。芸術は変化があるのみです」

金子 鷗亭(かねこ おうてい、1906年5月9日 - 2001年11月5日)は、北海道松前郡生まれの書家近代詩文書を提唱した。文化勲章受章者。

 五稜郭の近くにある北海道立美術館で「鷗亭記念室」を見学したとき、啄木の歌と水原秋桜子の歌を書いた鴎亭の書が展示されていた。ゆるやかな仮名文字、人の体の線をなぞったような漢字、、。この人の書は、江戸東京博物館井上靖記念館、史蹟松前城国木田独歩詩碑などの題字になっている。

現代書でもっとも広く浸透したのは金子の漢字かな交じり文の近代詩文書である。現在では金子創設し創玄展は、わが国最大級の書展となっている。
毎年の全国戦没者追悼式の標柱の揮毫はこの人の書だった。1952年に第一回を書き、1963年から1993年までの実に31年間にわたって書き続けた。1952年の57歳から、最後に書いたのは88歳の時だった。60歳頃からは毎朝5時に起き散歩をして健康状態をベストにしてこの仕事を続けようとした。
この人によれば、「明」という字は、窓から月の光がさしこんでものが見えるという意味だそうだ。

金子は漢詩・漢文などの異国趣味を排し、日本の口語文・自由詩・短歌・翻訳等の詩文を新たに題材とすべきであり、また書の表現も現代にふさわしい表現とするべきだと言って賛同者を増やした。時代に応じた変化を主張したのだ。