NPO法人JAPAN NOW観光情報協会で講演

NPO法人JAPAN NOW観光情報協会(会長は筑波学院大の大島学長)の総会後に講演。麹町の海事センタービル。1時間半。

タイトルは「図で考えれば、世界が見える!---大観光時代とグローバル言語」。

 

終了後、ミニパーティ。

その後に、JAL時代の先輩たち(秋畑さん、、)と懇親会。

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「副学長日誌・志塾の風」170517

インターネット放送局T-Studioの「久恒啓一の名言との対話」第16回の大隈重信がリリースされた。http://www.tama.ac.jp/t-studio/hisatune/index.html

 

「名言との対話」。5月17日。安井曾太郎「人ならば、話し、動き、生活する人を描きたい。その人の性格、場合によっては職業までも充分あらわしたい」

安井 曾太郎(やすい そうたろう、1888年5月17日 - 1955年12月14日)は、大正~昭和期の洋画家。昭和を代表する画家。文化勲章受章者。

安井曾太郎は、同い年の梅原龍三郎と画界を二分する力量の持ち主だったが、肖像画を多く描いたのも特徴である。その肖像画は、26歳パリから帰国した直後にち「父の像」「母の像」などを描いたところから始まっている。

偉い人物が役職を退くときや、長命のお祝いに、肖像画を贈るという伝統が最近まであった。安井に描かれた人たちは、それぞれ不満の様子やとまどいがあった。それは、省略と誇張を重ね、戯画化にいたる直前で踏みとどまるのが安井の作風だったからである。

安井曾太郎肖像画」展を観たことがある。第二高等学校校長の玉蟲一郎一(1868−1942)の校長退職記念で描いた「玉蟲先生像」が印象に残った。「玉蟲さんは実にきちんと座られてほとんど動かれなかった。、、古武士の様な所があった」。のちに安井は一作を選ぶという問いに対して「玉蟲先生像」を挙げている。安井は生涯で30点ほどの肖像画を描いた。

本間正義氏が、「確か安井曾太郎画伯の描いた「横山大観像」が展示してあり、先生(平櫛田中)はその前にとまって、じっと見ておられたたが、いきなり、『先生もうしばらくおまち下さい。きっとそのうちに作りますから』といわれた。」と回想している。よく描けていたのだろう。

 「よきポーズと、よき背景を得ば、その絵は成功であると言ってもよき位である」

肖像彫刻を世界で一番多くつくった朝倉文夫もそうだが、安井は対象の人生と職業までも描こうとした。そのためには、人物の研究が必要だ。安井の肖像画に名作が多いのはそういう努力のたまものだろう。