第21回在京中津会。

日暮里のラングウッドホテルで第21回在京中津会に参加。150人という大きな会だった。中津北高の同級の20回生6人が参加。松田、清原、芦田、小野、峰、私。

  • 中津から奥塚市長が見えて挨拶「耶馬溪が日本遺産」「八面山が夜景遺産」「出生率が1.94で県で1番」。一度母校で会ったことがある市長に挨拶。母の出版物が話題になった。
  • 歌手の芹洋子さんが挨拶「美しき山国川」がキングレコードから月1日発売。
  • 「在京中津会の歌」があるのには驚いた。
  • 終了後、仲間4人でビール。松田君の直近のマチュペチュ旅行の話を聞く。

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「名言との対話」5月28日。浜井信三「重い障害とともに歩んできたあなたの生き方は、懸命に生きることの大切さを教えてくれ ます 私達はあなたが歩んでこられた道から学んで その道をたどって参りたいと思います 」

浜井 信三(はまい しんぞう、1905年5月28日 - 1968年2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年1959年 - 1967年。通算4期市長を務めた)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。

原爆の投下で市役所の幹部の多くが爆死したため、40歳の一介の広島市と防空本部の配給課長ながら最前線に立ち奔走した浜井の逸話を聞いた小松左京が創作したのが、少年向けSF小説「お召し」である。

1986年2月26日広島平和記念資料館の講堂で開かれた、第4回広島地方同盟定期大会に出席し、不動の信念と抱負を訴え終えた直後、来賓席に戻ると同時に心筋梗塞で倒れた。直ちに広島市民病院から医師が駆けつけたものの、16時8分に死亡。62歳。3月8日山田節男市長らが発起人となって市民葬が執り行われた。

来日し広島を訪れた資格と聴覚の重複障害者(盲ろう者)ヘレン・ェラーは「私は決して広島と長崎を忘れません…人々は恐るべき状況にありながら、なおも与えようという気持ちを持っておられたのです。このような寛容さに対して私は一体どう答えればいいのでしょうか。」と語った。浜井信三市長はそのヘレンに冒頭の言葉を語った。広島は重い障害を背負っており、ヘレンの崇高な生き方をモデルにして歩んでいくと広島市民を代表して述べたのである。個人に生き方に広島市民が励まされたのだ。