沖縄。NPO法人知的生産の技術研究会沖縄支部発会記念の特別講演会。

沖縄入り。

那覇空港で待ち合わせのゼミOBの宮城くんと会う。宮城くんの明日の結婚式での挨拶の打ち合わせ。

 夕刻からはNPO法人知的生産の技術研究会沖縄支部設立発会記念の特別講演会。

演題は「偉人の命日366名言集」で仕事と人生に喝!。

 講演後の沖縄支部設立総会。

支部長は玉木判さん。事務局長は砂辺孝夫さん、

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 多摩大の同僚の趙先生とその友人たちも参加。

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 琉球豚屋「くろとん」で  懇親会。

終了後には、国際通りから入った屋台村で歓談。若い人たちがたくさん集まってとても賑やかだ。その名のとおり国際色豊か国際色豊かだ。写真は午前0時。

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「名言との対話」7月1日。酒井抱一「我等迄 流れをくむや 苔清水」

酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦11年7月1日(1761年8月1日) - 文政11年11月29日(1829年1月4日))は、江戸時代後期の絵師俳人。 

尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となった。

姫路城藩主の次男坊で、江戸屋敷で育った。画業は狩野風を学び、沈南蘋の写生画風、浮世絵、加えて土佐派、円山派の技法を習得。親交のあった谷文晁からも影響を受けた。さらに俳諧、和歌、連歌国学、書、そして能、仕舞までもたしなんだ。

抱一は、「老子」の「是を以て聖人、一を抱えて天下の式と為る」からとっている。

出家した後には尾形光琳に私淑する。光琳の100年忌を行うなど顕彰活動を始めて、乾山を発見する。乾山の流れは、抱一、そして井伊直弼、富本憲吉、バーナード・リーチへと続いていく。

酒井抱一は、俵屋宗達尾形光琳から始まる尾形流を再興し、その流れを切らさずに、次の時代にまでつなぎ、ヨーロッパのジャポニズムにまで影響を及ぼすという大きな仕事をなした。冒頭の句は、文政2年(1819年)秋、名代を遣わし光琳墓碑の修築、翌年の石碑開眼供養の時も金二百疋を寄進した時の感慨を詠んだものである。後から眺めると「流れ」を切らさないことがいかに大事かがわかる。