「水墨の風--長谷川等伯」(出光美術館)

出光美術館「水墨の風--長谷川等伯」。

「瀟相八景図屏風」

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雪舟五代を名乗る桃山時代の長谷川等伯

能登・七尾の地方絵師であった等伯は、絵仏師的な要素の強い仕事をしていた。その時代は長谷川信春の名で絵を描いていた。近年になって信春と等伯が同一人物であることがわかった。

33才になって妻子を連れて上洛する。それから51才までの17年間が空白であり、雌伏の時代であった。繊細な描写を特徴とする信治、雄渾な墨線を主体にした豪放な大画面を描く等伯

桃山画壇にあって主流は狩野家であり、天才狩野永徳等伯より4つ年下である。信長は永徳を天下一の画工と認め、安土城のすべての障壁画制作の棟梁を任せた。34才から37才にかけて完成させている。

1590年、御所の対屋(迎賓館)の障壁画制作の仕事を長谷川という名の画家が奪おうとする事件が起こり、永徳はその画策をついえさせるのだが、翌年に永徳は急逝してしまう。

1589年、51才の等伯大徳寺の三門桜上の壁画、三玄院の障壁画を描くという大画業を完成させている。三門自体はは利休が財力を使って二階部分を増築した。桜上には利休の木像が安置された。これが後に秀吉の逆鱗に触れて利休切腹の要因になった。

絶頂期を迎えつつあった54才の時、息子の久蔵が26才の若さで急逝する。そのあと等伯水墨画を多数描く。その一つが「松林図屏風」だ。

60代では妙心寺大徳寺南禅寺など重要な寺院の障壁が制作にたずさわった。

絵師や医師は「法橋」「法眼」「法印」と昇る地位を宮廷からもらう。晩年の等伯は66才で法橋、67才で法眼になる。72才、家康の召しにより江戸へ向かったが、到着後まもなく客死。

 

水墨画は中国唐時代の中頃(7世紀末から8世紀前版)に 登場した。色彩の世界を捨て、モノクロの世界がつくりだす壮大な3次元空間を平面に創出した。五代から北宋(10世紀初めから11世紀半ば)に山水画を中心に発展した。対象は朝夕の薄明、夜、煙雨、風雨、霧、霞などで、黒の微妙なグラデーションでしか表現できないモチーフが取り上げられた。東アジア水墨画史の頂点である等伯の「松林図屏風」も松は主役ではない。

山水画を源流に持つ水墨画とは、墨の濃淡と線で風景などを表現するものである。美術は「色と形」で物事を表現する芸術であるが、その色を消し去って、黒から白への濃淡のグラデーションを用いて独特の世界を描くのが水墨画だ。近世の文人画では、墨の「かすれ」も使うようになる。

 

 

「副学長日誌・志塾の風」170711

多摩キャンパス

・川手課長:文科相大学運営実地調査

・高野課長:研究開発機構

・荻野先生:オリンピックボランティア

・杉本係長:戦略会議「教務」「就職」

 

湘南キャンパス

・安田学部長と懇談・情報交換

・学部運営委員会14時半ー19時半:英語教育。就職率。JALのCA、ビームスなだ万リンツ信金。離学率。PROG。、、、、。

 

「名言との対話」7月11日。ユル・ブリンナー「頭に毛があろうと無かろうと肝心なのは頭の中身なんだ」

ユル・ブリンナー(Yul Brynner, 1920年7月11日 - 1985年10月10日)はロシアウラジオストク出身の俳優である。

スイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親との間に、ウラジオストックで生まれた。中国やフランスで幼少時代を過ごし、俳優を志して1941年にアメリカにわたる。

シャムの王様に扮したミュージカル「王様と私」が大ヒットしトニー賞を受賞、1856年の映画版ではアカデミー賞主演男優賞を受賞した。この映画作品は子供の頃に観た記憶があり、ハゲ頭叔父さんをユル・ブリンナーと呼ぶなどした思い出がある。

1951年の「王様と私」では、ユル・ブリンナーは極東での子ども時代の思い出、歌の能力、アクロバットのスキル、舞台演出家チェーホフのもとで学んだことなど過去の経験をすべて注ぎ込んで大成功をおさめた。このミュージカルでユル・ブリンナーは30年間で4633回の出演記録を達成している。

 15才からのヘビースモーカーであったユル・ブリンナーは肺がんに冒される。最後の日々をテレビでの禁煙キャンペーン活動を行っている。「私が死ぬのはタバコをたくさん吸ったからだ。これを見ているみなさんに言いたい、運命をもてあそぶな、と。」というテレビCMは死後に流れた。

高校時代、校内新聞に「髪を伸ばすより頭を伸ばせ」という言葉が載ったことを思い出した。私の通った高校はぼうず頭が普通だった当時としては珍しく長髪をゆるす自由な校風だった。ぼうずか長髪かという議論があったが、ある女高生がこの言葉を載せて、感心したことがある。外見ではない、頭の中身が肝心だというこの言葉が、あの見事なはげ頭のユル・ブリンナーからでると、ユーモラスで思わず衣笑みがこぼれる。