7月14日は何の日か?検疫記念日。パリ祭。ペリー上陸記念日。廃藩置県の日。内視鏡の日。ひまわりの日。求人広告の日。ゼラチンの日。ゼリーの日。イラク共和国記念日。。

7月14日:検疫記念日。パリ祭。ペリー上陸記念日。廃藩置県の日。内視鏡の日。ひまわりの日。求人広告の日。ゼラチンの日。ゼリーの日。イラク共和国記念日。

司馬遼太郎「韃靼疾風録」を読み始めた。

 

「副学長日誌・志塾の風」170714

・ビジネス・コミュニケーションの授業14回目:「2017年の論点」の論考の図解という難しい課題に挑戦。終了後のアンケートを読むと「難しいが、何とかやり遂げたい」いう受講生が多いのは嬉しい。

・T-Studioでの「トレンドウオッチャー」の収録。月1回ほどのペースで客員の橘川先生との対談。今回のテーマは「京都未来フェス」。京都で頑張っている人たちと全国の地域活性化のキーマンたちを糾合した壮大な実験。

note.mu・事務局との定例ミーティング:文科省調査、採用、学部運営委員会議題、、、、

・高野課長:学長関係

・バートル先生:日中関係学会

 

「名言との対話」7月14日。緖方洪庵「返す返すも六かしき字を弄ぶ勿れ」

緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日1810年8月13日) - 文久3年6月10日1863年7月25日))は江戸時代後期の武士足守藩士)、医師蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。

大坂で蘭学を学んだ洪庵は江戸で坪井信道に入門し日夜刻苦精励し抜きんでた。号は洪庵の他に適々斎華陰と称した。大坂で開いた適々斎塾は、適塾と呼ばれた。適塾では大村益次郎福澤諭吉大鳥圭介橋本左内、長与専斎、佐野常民ら多くの俊秀が輩出した。子弟は親子のようであったと福澤も述懐している。福澤は「「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々として応対倦まず、誠に類い稀れなる高徳の君子なり」と語っている。

「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また、利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ 」

適塾の門人らで設立された大阪医学校は、幾多の変遷を経て大阪帝国大学医学部として発展し、現在の大阪大学にいたっている。阪大には適塾記念センターがある。

国連高等弁務官・緖方貞子の曽祖父は犬養毅、祖父は外相、母は犬養道子安藤和津の従妹。日銀理事だった夫は、緒方竹虎の三男。竹虎の祖父は緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗った。この尊敬すべき女性は緖方洪庵の関係者だったのだ。

洪庵は塾生たちに「返す返すも六かしき字を弄ぶ勿れ」と戒めた。福沢は「深く之を心に銘じて爾来曾て忘れたることなし」と書いている。「学問のすすめ」「福翁自伝」など福澤の著書が読みやすいのは師の緖方洪庵の指導の賜物だったのだ。難しい言葉や言い回しの多用をレベルの高さと勘違いしてはいけない。どのような職業においても、難しいことをやさしく説明できることを心掛けたいものである。