成毛真『AI時代の人生戦略』

成毛真「AI時代の人生戦略」(SB新書)を読了。

「STEAM」が最強の武器である。残酷な5年後に生き残るためあなたが身につけておくべきこと。堀江貴文鈴木寛対談集録。

 サイエンス(科学)。テクノロジー(技術)。エンジニアリング(工学)。アート(芸術)。マセマティックス(数学)。これらの頭文字を並べたものが「STEAM」だ。

・古典より現代アート。OKGo。CGと実写の接近、、

・使う側:AIやロボットを道具にしてイノベーションを起こす。

・ロボアドバイザー(フィンテック):投資ポートフォリオ。手数料0.3%以下(丸投げのラップ口座2.0%)。

・論述指導、採点もAIに。TOEFLは自動採点。

・シンギュラリティ以降は「善と美」が人間の仕事して残る。

・サイエンス系のNHK番組:「サイエンスゼロ」(最新科学技術。30分)「コズミックフロント・NEXT」(宇宙最新知見)「モーガン・フリーマン 時空を超えて」。

・「ナショナルジオグラフィック日本版」「ニュートン」「iPad日本語版ニュートン」「日経ものづくり」

・想像力と創造力

イーロン・マスク「ペイパル」「テスラモーターズ」「スペースX」(火星移住計画)

胃カメラは毎年飲まないとダメ。ポケモン。VR(仮想現実)とAR(拡張現実)。自動車業界は完全崩壊。

・『楽観主義者の未来予測』『科学はどこまで進化してりるか』『スーパーヒューマン誕生!』『AIの衝撃』『人間さまお断り』『図解よくわかるナノセルロース』『スマートマシン』『ゼロトゥワン』『限界費用ゼロ社会』

 

 

「副学長日誌・志塾の風」170719

ラウンジ

・人事委員会:教員採用。非常勤の考え方。

・学部運営委員会(10時40分ー12時30分):私からは大学全体の動き「大学戦略会議」「大学運営会議」「グローバルスタディーズ学部」「大学院」の情報を提供。パラリンピック。カリキュラム。進研ゼミ偏差値。、、、、、。

・杉田学部長:フットサル。カリキュラム。

・飯田先生:政治

・趙先生:大学運営

 

研究室

・夏の講演資料の準備:酒田(工務所)。九段(ギリークラブ)。岡山(県庁)。東京(地域活性化センター)。東京(ビジネス実務学会)。

テレビ朝日から電話取材

・卒業生来訪:数年前に卒業しOBが訪ねてくれた。彼らと友人たちの卒業後の動向を聞いたが、転職している人が予想以上に多かった。就職先の選定について情報収集・提供がさらに必要だ。

 

「名言との対話」7月19日。野依秀市「不屈生」

野依 秀市(のより ひでいち、1885年明治18年)7月19日 - 1968年昭和43年)3月31日)は、明治大正昭和の3つの時代にわたる日本ジャーナリスト思想家歴史家評論家筆名不屈生

大分県中津市生まれ。小学校卒業後上京、慶応義塾の商業夜学校に学ぶ。在学中、友人石山堅吉(のちダイヤモンド社を設立)の協力を得て「三田商業界」(のち「実業之世界」と改題)を発刊、三宅雪嶺渋沢栄一らの庇護をうけた。東京電燈の料金値下げ問題などにからむ恐喝などで二回の入獄後、浄土真宗に帰依、21年「真宗の世界」を創刊、32年大分一区より代議士に当選。同年「帝都日日新聞」を創刊し社長となったが、44年東条内閣攻撃のため、45回の発売禁止処分をうけたのち廃刊。戦後は公職追放を受け、解除後は、55年衆議院議員日本民主党)となり、保守合同に活躍。58年の総選挙では落選。また「帝都日日新聞」を復刊(58年)、とくに、深沢七郎の「風流夢譚」問題をめぐり、中央公論社を激しく攻撃し、また紀元節復活法制化の先頭に立ったことで知られた。野依は中津近郊出身の大横綱双葉山の結婚の媒酌人である。

身長四尺八寸七分というから147.6センチの単躯であったが、あらゆる権威を敵にまわしている。新渡戸稲造を、愚人の敵、青年の敵、国民の敵として糾弾している。「彼の武士道を唱道するが如き手合ひは、武力全能戦争万能の旧思想と旧迷信とを一歩も踏み出し得ない人間であって、日本人の政思想に取って、一大侮辱と言は無ければならぬ。」鳩山一郎にも厳しい。「言論が如何に戦時中不自由であったにしても、真に国を愛する立場から言ふならば、相当言へぬことはなかった。、、戦争に敗けてからノコノコ選挙に乗り出して、、チャンチャラおかしいです」

この人ほど毀誉褒貶のある人も珍しい。喧嘩ジャーナリスト。、「ブラックジャーナリズムの祖」。右翼ジャーナリスト。露伴、雪嶺に愛された騒動男。反権力を売り物にした異色の出版人。反骨の国権的自由主義者。ジャーナリズム最後の段階としての野依イズム。正直者。野依学校。偽悪者。織田信長の再来。名物男。疑問の人物。言論ギャング。異人、、、、

渋沢栄一「世の新聞雑誌が、虚礼虚飾を尊ぶ間に在りて野依氏が、独り超然として正を生とし邪を邪とする心事は、実に私の愉快に感ずる所であります」。草野心平「狂信的で暴れんぼうで、いわば火だるまみたいな人物だった。その火だるまのなかには一種独自なユーモアがあった」「私は自分の生涯で、あのような特異な怪物に接したことはなかった」

中津市に、盟友の内閣総理大臣岸信介直筆による「野依秀市翁頌徳碑」が民家の陰に隠れて存在する。それを話題にすると、野依をよく知る横松宗夫人は「それは本人が建てたんでしょ」と笑いながら言ったことを思い出す。

大宅壮一は、「ジャーナリズム最後の段階としての野依イズム」と呼んだのはさすがに慧眼の持ち主だ。大宅は大分県人気質をスペン人気質としている。「熱血漢ではあるが、うつり気である。純情で、詩情も豊かだが、その半面において打算的、功利的で、利害に敏く、ときには狡猾であり、無恥ですらある。激情に駆られることもあるが、冷めるのも早い。(略)大分県人に共通した性格は、何か夢を、ヴィジョンをもっていることである。その夢やヴィジョンが思うとおりにいかないと、途中でインチキに変質することが多い点でも、スペイン人を思わせる」と言った。

「天下無敵のメディア人間」(佐藤卓巳)では、発言内容の真偽よりも、発言する媒体(著者)の知名度が重要だという発想と考え、自分自身を広告媒体と強烈に意識した宣伝的人間と「メディア人間」を規定している。われとわが身までも広告媒体化し、ひたすら自己宣伝につとめる人間である。

自身のペンネームは「不屈生」であった。野依の人生を眺めると、確かに信条とした不屈の精神が野依秀市というエネルギーの充満した怪物を形づくったと思えてくる。