「あなたはこの授業を受けてどう変わりましたか?」

「副学長日誌・志塾の風」

  • 午後:多摩キャンパス:秘書とスケジュール打ち合わせ。
  • 夕刻:九段サテライト:学長と人事案件。杉田学部長と。

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 春学期の「ビジネスコミュニケーション」の最終回のアンケート「あなたはこの授業を受けてどう変わりましたか?」

・以前は全く新聞を読まなかったのに、最近よく読むようになった。図を書くのが楽しくなった

・重要だと思うところに線を引いたり図にすることによって文章を理解できるようになった。嫌いな感情も消えた。

・文章読み解く力がついた。図解にするために文をよく読むようになった。長文でも読むのに抵抗がなくなった

・新聞を読むのが早くなり、必要な所を読み取れるようになった。長文の読解がしやすくなった。選挙に行かないといけないと思った。

・以前まではニュースやネットの記事を鵜呑みしていたが、今は自分の考え方をしっかりと持てるようになった。

・自分の頭の中で大まかに図解を描き、ロジカルに考えられるようになった

・以前まではニュースやネットの記事を鵜呑みしていたが、今は自分の考え方をしっかりと持てるようになった。

・難しい内容でも頭の中で図解を作れるようになり、理解力が格段に上がった。どの分野でも図解が作れる自信がついた。

・文章の意味をより理解しながら読めるようになった。図解を意識することで、頭に留まるようになった。この授業に出会えて良かった

・知らないうちに力がついてきた。この講義が終わっても続けていきたい。

・図解の万能性に気づいた。

・文章などを手で読め!と先生から教わり、実際に手で読んでみると、内容が頭に入ってくることを学んだ。

・特別講座を図で書いてようと思った。分かりやすく楽しい講義だったので図を書くことが好きになった。

・難しいことをやっているが、これが成長していくという事に繋がると感じる事ができた。

以下、留学生。

・以前より系統を立てて考えられるようになってきた。人によって図解は違い、興味がそそられてきた。「文章から図」はマクロの視点で、「図から文章」はミクロの視点ですね。この両方の視点もプレゼン表現や論文の書き方に影響を与えるので、これからも続けて、図解を中心に練習しようと思っている。

・図解がクセになった。この授業を受けてとても良かった。

・図解を書けるようになった。図解を読めるようになった

 

夜は、銀座で高校のミニ同級会。今回は女性陣が二人入り賑やか。

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「名言との対話」7月24日。谷崎潤一郎「筋の面白さは、言ひ換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである」

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年明治19年)7月24日 - 1965年昭和40年)7月30日)は、日本小説家

46歳、根津松子と恋愛関係になり離婚し、松子と結婚。谷崎は生涯で3度結婚しているが、松子こそ理想の女性であり、この後、谷崎は作風を変化させて、「細雪」に代表される傑作を書き続ける。「細雪」は軍部の圧力により「中央公論」に掲載中止となるが、谷崎は書き続ける。この間、中央公論の嶋中社長は原稿料を払い続けた。60歳、「細雪」上巻。61歳、「細雪」中巻。62歳、「細雪」下巻。毎日出版文化賞、朝日文化賞を受賞し、63歳、文化勲章を受章。65歳、全26冊の「谷崎源氏」で文化功労者となった。その後も旺盛な執筆が続き、74歳と78歳ではノーベル文学賞の最終候補になっている。谷崎は、自伝的作品、マゾヒズム小説、怪奇小説、芸術家小説、少年ものなどの作品や、戯曲、そして映画製作にも関わるなど、まさに怒涛の仕事量をこなした。

世間に認められるのが、死後のことがよくある。谷崎潤一郎大谷崎と言われるのは死の翌年から全集が刊行されてからだ。

「人一倍遅筆な私が、日に四五枚の進行が精々である私が」と書いているのは意外に思えるが、もしそうなら膨大な作品群を残したということは、相当な時間を執筆にあてたのだろう。谷崎潤一郎は、己の天才を信じ、それに殉じた人生であった。

「文章に実用的と芸術的の区別なし」「分からせるように書くと云う一事で、文章の役目は手一杯なのであります」と、『文章読本』に記している大谷崎と呼ばれた谷崎潤一郎の小説の醍醐味は、本人が述べているように壮麗な建築物の美を味わうことにあるのだ。