「副学長日誌・志塾の風」170728
多摩キャンパス
- T-Studiioで「名言との対話」を収録。
・22回は「ミケランジェロ」 。ルネッサンス時代を代表する二人の天才の比較。
九段サテライト
・大学戦略会議:本日のテーマは「就職」。質の向上。トップクラスの学生の就職戦略。就職満足度の測り方。留学生の内外ネットワーク。
・第1回自己点検評価委員会:「自己点検報告書2016」。
・大学経営・運営合同会議:「大学院DSBコース」「教員人事:大学院客員教授・経営情報学部専任教員・グローバルスタディーズ学部教員再任審査」。学長「人生100年、80年現役社会。社会人教育の場に。クオリティ。外との接点を。」
18時。 渡辺客員教授:杉田学部長と一緒に科目の内容の相談。最新ビジネス事情、、、。
19時。ギリークラブで私のセミナー「偉人の命日366名言集で人生と仕事に喝!」
少人数であり、じっくりと語り合うことができた。
今日の収穫
・佐藤栄作「内閣は解散するたびに求心力を増し、改造するたびに求心力が低下する」
・出処進退は難しい。早すぎるか、遅すぎるかだ。どちらがいいかというと、早すぎる方がまだいい。
「名言との対話」7月28日。大原孫三郎「仕事は三割の賛同者があれば着手すべきだ。5割も賛成者があればもう手遅れだよ」
大原 孫三郎(おおはら まごさぶろう、1880年7月28日 - 1943年1月18日)は日本の実業家。倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。
倉敷は河岸に倉庫が立ち並ぶ町で、蔵屋敷、蔵敷地などと呼ばれていた。それが蔵敷となり、いつの間にか「倉敷」となった。徳川時代は幕府直轄の天領だった。ここを治めた代官所跡に倉敷紡績ができた。それが近代の発展の原動力になった。倉紡記念館は昭和42年の創業80周年記念事業でつくられたのが倉敷紡績の歴史記念館である。
30歳で二代目社長となった大原孫三郎は、社会、文化事業にも熱心に取り組み、倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補習学校(現岡山県立倉敷商業高等学校)を設立した。
大原孫三郎は「従業員の幸福なくして事業の繫栄はない」という労働理想主義を掲げ、敷地内に小学校や工手学校などの学校をつくるなどユニークな労務管理を行い、飛躍していく。人道主義、人格主義、キリスト教社会主義、社会改良主義と、その思想は移行していく。高い業績をあげた大原社会問題研究所は現在は法政大学に移って存続している。倉敷労働科学研究所は、(財)労働科学研究所となっている。
大原孫三郎は、1万人の従業員のために倉敷中央病院、倉敷高松病院、倉敷販売利用組合、若竹の園などもつくった。最盛期には1200人を擁した岡山孤児院をつくった石井十次(1865年生)と親交を持った。倉敷中央病院は、治療本位の設計、明るい病院、東洋一の病院という考え方で造られ、開所式には後藤新平が来て祝辞を述べている。
『わしの眼は十年先が見える』という著書もある大原孫三郎は十年先どころか、百年先のフィランソロピーの登場を見ていたのではないかと生涯を眺めると思えてくる。彼が言うように仲間の半分が賛成するような施策はすでに手遅れであろう。未来へ向けての決断がテーマである経営は、多数決で行っては断じてならない。