本間光丘(酒田)--「金は金をうむ、徳は得をうむ」という商人経済学

本間光丘。

先日、山形の酒田で本間美術館(休館)の脇に立つ清遠閣を見学した。本間とは「本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様に」とうたわれた本間家である。

この本間家には有名な人物がいるはずだと思い、調べると本間光丘という名前がでてきた。本間家は染物・金物・小間物商で、二代目のときに米相場で財を大きくした。

享保17年(1732年)に三代目として本間光丘が生まれる。

その60年前に河村瑞賢が酒田に来訪し、御米置場を設置し西回り航路をひらき、酒田は栄える。

光丘19歳で姫路の奈良屋に修行に出て、22歳で酒田に戻る。27歳、西浜植林を開始。32歳、藩に金千両を献じ御小姓頭支配となる。36歳、藩に2万4千俵を献納し、飢餓に備え分置する(貯籾の創始)。39歳、家道訓7箇条を制定。44歳、藩財政再建の全権を委任される。50歳、藩財政ようやく回復。52歳、奥羽大飢饉(天明の大飢饉)も貯籾2万4千俵が大いに役立つ。62歳、米沢藩上杉鷹山より協力依頼あり。64歳、庄内藩農政改革について上書。69歳、高田屋嘉兵衛来酒。70歳、没。この年鳥海山が大噴火。

強風による砂塵の害を除くために西浜の防砂林を植える事業に着手する。ぐみとねむの木を植えて土台にして砂を固め、そのあとに松を植えようとした。松苗は能登に200万本を注文。5年後の1762年、30歳で町年寄格、防砂林がなかば完成。完全な完成は植林を始めてから60年以上後である。この植林事業は本間家の継続事業となった。酒田は風沙の害から免れた。

44歳から関わった庄内藩の財政改革を命じられる。借金はそのままで赤字を出さないようにして財政の回復を図った。また収入を定め、支出を抑え、被災は計画的に年賦償還する。藩士には低利融資、農民救済にも基金を献上し低利融資で貸し出した。50歳の時には藩財政は余剰金をだすまでに回復した。天明の大飢饉では光丘が蓄えた荒籾を放出して領内からはひとりの餓死者も出さなかった。

米沢藩などへの大名貸しをする場合、使途や返済方法を含めて相手の回生方法を考えた。相手に感謝され、自分も豊かになるという方法だった。

光丘が先代から引き継いだ財産は田地350俵・現金1000両。光丘一大で田地1万6千俵。現金13万両、貸金54781両、銀5万であった。その経営哲学は「金は金をうむ、徳は得をうむ」だった。光丘は金融資本家となった。倹約・勘定・才覚・信用という商人経済学と、本家中心の16分家集団の鉄の団結。この思想によって江戸中期から昭和初期まで200年以上にわたり本間家は身代が増えていった。

本間光丘の商人経済学はさらに研究する価値がある。

 

「副学長日誌・志塾の風」170801

・研究室で近藤秘書と打ち合わせ

・ラウンジで高野課長と雑談

・入試の酒井さん:大分から志願者あり

 

「名言との対話」8月1日。宮本常一「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ」

宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本民俗学者、農村指導者、社会教育家。

宮本常一は、1939年(32歳)以来、73歳で死に至るまで40年以上にわたって日本各地をくままく歩き、民間の伝承を克明に調査した。

23歳の時に投稿した論文が柳田国男の目にとまる。そして3年後の25歳で生涯の師・渋沢敬三と出会い、4年後の32歳でアスチック・ミュジアムに入り、以後40年にわたって本格的な民族調査に没頭する。53歳で書いた代表作「忘れられた日本人」で脚光を浴びた。

「旅する人」宮本常一民族誌を中心にした柳田国男民俗学に疑問を持つようになる。「生活誌」を大事にすべきであり、生活向上のテコになる技術をキメ細かく構造的に見ることが大切だ考える。客観的なデータを整理・分析する民族誌ではなく、民族採集の仕事は「生きた生活」をとらえることにあるとする。実感を通して観察し、総合的にとらえる生活誌を重要視した研究を行った。

宮本常一の所属した渋沢敬三のアチック・ミューゼアムは、後に日本常民文化研究所となり、神奈川大学に吸収されて網野善彦(1928-2004年)の活動の場になる。網野は中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにした。その系統の中に赤坂憲男の東北学もある。

宮本常一は日本を探検した人である。人々の生活誌を書いた。代表作『忘れられた日本人』を宮本は「紙碑」と言っている。石碑ではなく、紙というメディアに書いた碑である。確かに石碑に書かれた内容は時間が経つと風化し読めなくなるが、紙碑に記した内容は永遠に残る。本を書くという仕事は、紙の碑を残すという業なのだ。宮本常一の志の高さをみる思いがする。