「副学長日誌・志塾の風」170805
- 品川キャンパス
・10時:大学院修士論文審査会
・13時:大学院教授会
- 九段サテライト
・15時:非常勤講師への教育方針説明会
私:「大学改革の多摩大モデル」
杉田学部長「本学の教育方針」
金教務委員長「教育方針」
16時: 懇談・意見交換。
荻坂先生。関先生。荻野先生。市原先生。深沢先生。荒木先生。諸橋先生。手塚先生。大沢先生。河合先生。奥山先生。
・17時:文庫カフェで懇親会
18時:知研の高橋さんと蕎麦屋で懇親。大館に関する提案を受ける。知研の今後のことも意見交換。
「名言との対話」8月5日。壺井栄「桃栗3年 柿8年 柚子の大馬鹿18年」
壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。
壺井栄は醤油樽職人の6番目の子供であった。級長になるなど成績は良かったが一家が破産。15歳で坂出郵便局につとめる。26歳で上京、同郷の壺井繁治と結婚し、世田谷に住んだ。この時近所に林芙美子、平林たい子夫妻がいた。夫はプロレタリア運動に参加する。31歳、宮本百合子、佐田稲子と知り合う。38歳で、処女作「大根の葉」を発表する。42歳、「暦」で新潮社文芸賞を受ける。以降活発な執筆を展開する。53歳のときに書いた「二十四の瞳」が映画化され栄は国民的な存在になる。57歳、壺井栄作品集25巻。67歳、内海町名誉町民、そして死去。壺井栄は、小説、童話、随筆等、生涯で1,400編の作品を残した。1992年に郷土の小豆島の映画村に壺井栄文学館が開館した。
「突き飛ばされて転んだら、ついでにひとりで起きあがって、歩くとこを見せてやらにゃいかん」
「このひとみを、どうしてにごしてよいものか」
小豆島の映画村では映画館があり無料で「二十四の瞳」を上映していた。この映画は子供の頃見ているが、戦争反対の作品だったことに驚いた。ひらいたひらいた、7つの子、村の鍛冶屋、荒城の月、仰げば尊し、などの歌が聞こえている。涙なしには見ることができない名作であった。
「桃栗3年 柿八年 柚の大馬鹿18年」、これが遅咲きの栄の座右の銘である。自身は柚であると認識していたのだ。亡くなる直前の最後の言葉は「みんな仲良く」だった。