宮城大学創立20周年記念同窓会パーティ。

 宮城大学創立20周年記念同窓会パーティ。仙台のメルパルク。

・来賓控え室:野田初代学長を交えて、川上現学長と西垣前学長と懇談。

 ・パーティの最初は、野田初代学長の気合いのこもった挨拶。

f:id:k-hisatune:20170811193330j:image

  川上現学長の挨拶。

f:id:k-hisatune:20170811193336j:image

 OB:畠山君。力丸君。一馬君。佐々木君。石橋君。工藤由佳君。棟方君、、、、、、。

同僚の先生:梶先生。生嶋先生。坂本先生。三橋先生。金子先生。風見先生。伊藤先生。中塚先生。小澤先生、田村先生。、、、、。

f:id:k-hisatune:20170811193419j:image

f:id:k-hisatune:20170811193454j:image

f:id:k-hisatune:20170811193542j:image

 帰りは、野田先生と一緒の新幹線。

 昼は、メトロポリタンホテルで知研再編の一貫として、本山さんと打ち合わせ。

f:id:k-hisatune:20170811193250j:image

 

 「名言との対話」8月11日。古関裕而「 テーマや詩を前にして、その情景を思い浮かべる。音楽がどんどん頭の中に湧いてくる」

 作曲家の古関裕而の記念館は、福島市にあり、音楽堂が併設されている。古関は戦時中は勇壮な軍歌、戦後は明るいスポーツ音楽を数多く作曲している。2階の展示室では書斎が展示されている。ピアノなどの楽器はいっさい使用せず、和室の静寂の中で楽想を練った。机が3つあって、仕事が立て込んできたときなどは、この3つを行き来しながら作曲をしたらしい。床の間には「月落ちて鳥啼く、、」の寒山寺の詩が飾ってあった。

古関裕而は、美しい旋律と格調高い響きで日本人の心を魅了した。「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」「鐘の鳴る丘」「君の名は」「六甲おろし」「東京オリンピック行進曲」、、、、など耳に残る名曲ばかりだ。

 作曲作品総数は、20歳から80歳まで60年間で5,000曲にもおよぶ。この仕事量は日本の作曲家の中でも最多である。スポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・校歌・社歌等、多岐にわたっている。小学校、中学校、高等学校、県庁、県警、新聞社の歌なども多い。宮城県ではと見てみると、「ミス仙台」、宮城工業専門学校、築館高等学校、東北大学工学部鉱山学科の歌、、。私の故郷の大分県では、大分連隊行進曲などがあった。こうした一連の功績によって昭和44(1969)年には紫綬褒章を受章。昭和54(1979)年4月には福島市名誉市民第一号となり、その功績と栄誉をたたられた。

「いつもふる里の吾妻山や信夫山、阿武隈川を思い出して作曲してきました。
福島市に生まれ育って本当に良かった」と述懐している古関裕而は、和室の書斎で故郷の情景を思い浮かべながら、曲を作り続けた。人がふと口ずさむ歌は、その人の心に深く影響を与えている証拠だ。年月を越えてなお人々を励ましてきたメロディーを誰よりも多く生み出した古関裕而は今なお生き続けているのだ。