司馬遼太郎『韃靼疾風録(上)』

司馬遼太郎『韃靼疾風録(上)』(中公文庫)を読了。 下巻を早速読み始めた。

韃靼疾風録〈上〉 (中公文庫)

九州平戸島に漂着した韃靼の貴人の娘を故国に送り届ける役目を担った平戸武士桂庄助が、女真族と交わりずつ自らの存在を問いかける物語。明、モンゴル、清、高麗、、、など東アジアの民族の興亡がみえる雄大なロマン。個人の側からみた東アジアがゆらぐ17世紀のアジアの歴史ゆらぎがみえる作品。大陸から日本がみえる。韃靼とは明がモンゴル人を卑しんで呼んだ呼称。大佛次郎賞受賞作品。

以下、日本、女真、明、朝鮮のこと。

日本:倭人伝。倭寇。古倭。北虜南倭。倭貨。倭館。壬辰の倭乱(秀吉)。倭銃。倭奴。倭将。倭人。日本府。倭人は主のみに従う。命を受ければ錐のように目的意識だけで生きようとする。頭髪。

女真:マンジュ(文殊菩薩)を信仰する種族をマンジュとよび、明人が満州という文字をあてた。女真ヌルハチは家康より17歳年下。58歳でハン。王朝は必要悪。女真30万人。朝鮮1000万。明は億人。姓をもたない。逓伝の組織がみごと。瀋陽は韃靼の都。後金。バートラ(勇気)。バートルのことか、英雄か?モンゴル人は北虜。大ハン・ホンタイジ(後の清の太宗)は大満州国と称した。東韃の女真人と北虜のモンゴル人の同盟。

明:朱子学は実状を忘れて論じ合い、問題解決の解決がなおざりになる傾向がある。野蛮人を討つ(攘夷)が朱子学大義。小人とは身を労する者、庶民・無学をさす。農民・商人・職人。君子は支配層で書を読む者、官僚士大夫。正義体系(イデオロギー)が濃厚。中国は地大博物。

朝鮮:朝鮮は明という虎に押さえ込まれ、満韃子(マンダーツ)という狼に咬まれている。朝鮮は去勢者を多く明に進貢した。明国以上に朱子学の国。

文明とは人をして数奇たらしめない状態。野蛮とは数奇が大地に盛り上げた状態。

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10時ー11時半:ビジネススクエア多摩企画運営委員会。多摩市・多摩信金・多摩大。

健幸都市。健康まちづくり産業。地方創生。ものづくり支援事業。ガンと就労。サードプレイス。デザイナー支援。事業総括とニーズ調査。、、、、。

 ラウンジ

・高野課長:学長の動向

・川手課長:予算

・バートル先生:モンゴル訪問の件

 高校同級の猪俣君来訪。

・ライフワークの相談

・知研。邪馬台。

・「団塊」の自分史--中津北高校20回生の軌跡

 

 「名言との対話」。8月16日。菅原文太「人間、急いでおったらあんまりいいことない。足元見てマイペースを守っておったら、蹴躓くこともないわな」

菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年昭和8年〉8月16日 - 2014年平成26年〉11月28日)は、日本俳優声優ラジオパーソナリティ農業従事者である。

「ヘンクツや異端者と呼ばれてもいいじゃないか。変わり者の生き方の方が面白いよ」

沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」

「政治の役割はふたつあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」

チャールズ・ブロンソンとか亡くなったスティーブ・マックイーンなんか、大スターになったのは中年になってだからね。オレとおんなじだよ」という菅原文太は、急がず、マイペースを守って、やがて日本を代表する役者になった。そして晩年は憂国の士となって人々の記憶に残った。