中津市立図書館「郷土の作家」(5人の中に私も入っている)の部屋を見学。夜は同級生たちとの懇親会。

中津図書館。

「郷土の作家」の部屋ができていて私も入っているというので見に行った。作家の松下竜一さん(北高の先輩)の資料と図書が中心。

小野不由美さんは現役の人気小説家だ。

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 私のコーナー。

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「中津ゆかりの人」 コーナー。横松先生も。f:id:k-hisatune:20170820091538j:image

 

 

夜は中津北高の同級生たちとの宴会。

内尾。長松。吉森。島沢。久持。土生。瀬口。吉田。 f:id:k-hisatune:20170820091645j:image

団塊」の自分史〜ー中津北高20回生の軌跡

「邪馬台」の応援なども。

 

 2次会。f:id:k-hisatune:20170820091721j:image

 3次会のパインテールでかカラオケ。午前1時半まで。

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 「名言との対話」8月19日。横山大観人間ができてはじめて絵ができる。それには人物の養成ということが第一で、まず人間をつくら ねばなりません。、、。世界的の人間らしき人間ができて、こんどは世界的の絵ができるという わけです。、、、ただ一つ我は日本人であるという誇りをどこまでも堅持してもらいたい」

横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年11月2日明治元年9月18日) - 1958年昭和33年)2月26日)は、日本美術家日本画家。戸籍上は8月19日に誕生。

上野の不忍池に面した台東区池之端横山大観記念館。廊下に飾ってある大観の写真は、和服姿で髭(ひげ)を生やしている。穏やかだが厳しさを秘めたいい顔をしている。横山大観は1868年の明治元年に生まれ、1958年に没しているから90歳の長寿であった。元々は水戸藩士の長男として生まれたが、湯島小学校、府立一中を経て東京英学校時代に洋画家に出会い、19歳で画家になることを決心する。21歳で東京美術学校に入学し、生涯の恩師・岡倉天心校長に出会う。途中、天心とともに五浦で修行をするが、間断なく「無我」屈原」「迷子」「正々流転」「紅葉」「不二」(大観ほど富士を描いた画家はいない)「などの日本画の名作を生涯描き続けた

46歳のときに天心の遺志を継いで「伝統と個性を経緯とする応用・発達にあり。新しき古派運動」という創立の精神を持つ日本美術院を再興する。69歳では第1回の文化勲章を受章、亡くなったときには正三位勲一等旭日大綬章を受けている。天心とは4歳の違いであるが、大観は師の死後45年の間、日本画を描き続ける。

大観の顔はまことに立派な顔だったらしい。一種の異相であった。大観は作品とともに風貌も有名だった。「先生のお顔くらい立派な顔貌はめったにないと思っている。厳格で、些かの俗味なく、端正にしてして重厚雄大な気宇を持たれるそのお顔はまさに美丈夫というべきである。、、まさに堂々たる風格と申すべきである」(堅山南風)。「先生は、元来異相の巨人である。殊に毛髪、眼、鼻に一種の風格が窺われる」(松林桂月)

圧巻は「四時山水」という絵である。日本美術院創立50周年の80歳のときの作品で、長巻26.8mの巻きもの形式の絵である。巻頭には「一切の芸術派無窮をおふの姿に他ならず 芸術は感情を主とす 世界最高の情趣を顕現するにあり」という天心の詩を書いている。この作品は、春の日の出から冬の日没に終わる構成で、風景が四季の変化とともに一日の流れの中に表現されている。「四時山水」も良かった。四時山水は、27メートルに及ぶ絵巻で一日の中に日本の絶景の四季を入れ込んだ名作である。筑波山の春の日の出、富士山、比良山梅林、琵琶湖・竹生島保津川清水寺京都市街、嵯峨野、若草山高雄(京都)、黄璧山万福寺、宇治平等院、雨晴海岸(富山県)、立山連峰の冬の日没。全国の名景色を描きながら一日で季節を表現する構想が素晴らしい。

大観の藝術に関する言葉を拾ってみよう。

・藝術には眼で描く芸術と、心で描く芸術と、二つある。眼で描く芸術は技術が主になりたがり、 心で描く芸術は技術を従とする傾きがあります。

・写生の真意は、、その物象の性格と環境と雰囲気とを研究探明してその裏にひそむ性霊を表現す るにある。

・形から入って形を棄てよ

・芸術は創造である。如何なる場合に於ても模倣は之を排斥せねばならぬ。

・偉大な人が出た時に初めて偉大なる芸術が出来る。

・気韻生動

・富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くということだ。

横山大観岡倉天心の日本と日本画の思想を、絵画製作の実際によく体現し、その後の日本画再興の流れをよくリードした。自身が第一回文化勲章を受賞したのを皮切りに数々の文化勲章受賞者がこの流れから誕生している。この画家たちは大観の人格主義に大いに影響を受けている。日本人として人物を磨き上げることが優れた芸術の創造につながるという思想を後代にまで植えつけた功績は大きい。