岡山で行政マン研修を丸一日

9時から17時までの一日。40人。

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以下、受講生のアンケートから。

-図には個性がでるという意味がよくわかった。自分の立ち位置が様々な視点から分かった

-何が重要か見極めたい。ひとりよがりにならないように気をつけたい。

-この講座は頭を休める時間がなかったので、いい意味で疲れた。

-ハードでした。

-あやふやなだったものが、図解作業を経て自分なりにかみ砕いたものになった。

-図解にすると情報量が格段に増える。

-もっとも良い点は、議論のマッピングができることだ。マンダラ、、、。

-カタカナ語はあやふやに使われており驚いた。専門用語もわかりやすく説明したい。

-図解は、これほどまでに頭をつかうのかと思うほど頭を使った。でも描き終えたときは頭の中が整理されて、スッキリした。

-何が不足しているかも気付くことができた。

-有用性とノウハウmの理解がすすんだ。

-住民の声の分析の時間で、ミニマップの穴埋めをやったが、いい言葉が浮かばなかった。

-納得の重要性に気付いた。

-他の部署との連携について深く考えるキッカケになった。

-納得型行政を推進するためにこの技術を役に立てたい。図解形式のプランを各部局ごとに手作りするおは有意義で検討すべきだ。クレームは盲点というとらえ方は大切だと思った。

-納税者を意識した。先生の本を読んで勉強しまう。

-役所全体の中で自分の立ち位置を再確認できた。とても役に立つ。

-相手の意見を引き出すことにも有効だ。

-「物事の本質」を熟考したり、図でやりとりする中で、納得していく。「」

 

 三光荘の談話室で「長野文庫」を発見。

長野四郎は、岡山県知事を六期24年つとめた人物。

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「名言との対話」9月4日。丹下健三「機能的なものが美しいのではない。美しきもののみ機能的である」

 丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は日本の建築家、都市計画家。

丹下は東京帝大工学部建築学科には2年の浪人の後に入学しているし、一躍有名になった広島平和記念公園が完成した時には既に40歳になっており、早咲きの人ではなかったのは意外だった。丹下は膨大で優れた仕事を実現し、晩年に向けてしだいに重きをなしていく。

丹下の国内の作品。代々木国立屋内総合競技場。日本万国博覧会マスタープラン。草月会館赤坂プリンスホテル広島平和記念資料館・平和記念館。山梨文化会館。静岡新聞静岡放送東京支社。在日トルコ大使館。在日ブルガリア大使館。ハナエ・モリビル。愛媛県文化会館。兵庫県立歴史博物館。横浜市立美術館。そして威容を誇る新宿の都庁、お台場のフジテレビ、、、。丹下の仕事は全世界にわたっている。サウジアラビア王国国王宮殿。ナイジェリア新首都計画。WHO本部計画。クエート国際空港。キングファイサル財団本部、、。

 1950年代は、丹下は建築デザインだけでなく、文章を用いた建築理論においても日本の建築界をリードした。縄文と弥生の二項対立を丹下弁証法で高い次元の「合」にしていく。向かって左と右に対極的な形を置き、その中心を進んだ先に小さいがシンボリックな存在が見えるようにする。倉敷市庁舎は縄文的表現。香川県庁舎と倉吉市庁舎は縄文から弥生の過渡期のコンクリート作品。東京都庁舎は弥生的伝統の鉄による表現。

丹下健三は、日本の伝統を否定し、変革しつつ、しかも正しく受け継ぐことを信条としていた。実用品としてつくられた物には美があるというにのは「民芸」の考えだが、丹下はそうではないという。徹底して美を追究すると、自然に機能的にも優れたものができるという考え方だ。それが数々の建築作品を生んだ。