中澤日菜子「ニュータウンクロニクル」(光文社)。「『致知』に『偉人の命日366』の書評。

中澤日菜子「ニュータウンクロニクル」(光文社)を読了。

 ニュータウンクロニクル

 1971年、1981年、1991年、2001年、2011年、と10年ごとのニュータウンを描写し、2021年の姿を描いた小説。この間の時代と社会の動きが上手に描写されている。

高卒でニュータウン多摩ニュータウン)のある市役所(多摩市役所)に入り都市計画課に配属された18歳の主人公は、50年後の2021年には68歳で、シルバー人材センターで働いている。

50年前に「社会をより良くしていこう」という志を持って活動し、一度は活動を休止した「ニュータウンの未来を拓く会」は、40年後に再び活動を開始し、2021年には小学校跡を使って、格差社会の中でこぼれた子ども達を主な対象とした「ひまわり食堂」をオープンしている姿がある。「倒れた老木からひこばえが芽吹くように、鳥の運んだ種が遠い地で花咲かせるように」。

そしてニュータウン再生計画が未来へ向けて着々と進んでいる。「町も、そしてひとも「いのち」を繋いでいく」という結論になっている。

私は2008年からニュタウンの一角にある多摩大で働いているから、その前の時代はよく知らない。この小説でこのニュータウンに入居が始まった時代からの数十年間の具体的な暮らしのイメージが理解できた。大震災の起こった2011年から6年経った時点に今立っているのだが、多くの関係者が協力してこの小説に描かれたよりはもっとダイナミックな姿をみせたいものである。

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雑誌『致知』19月号に拙著『偉人の命日366名言集』の書評。

仕事術や図解思考で知られる著者のもう一つのライフワークは「人物記念館の旅」。2005年に始めた全国の人物記念館を巡る旅は800館を超えたという。

本書はその旅先で出合った偉人の名言などを366日(閏年を含む)、それぞれの命日に収録。逸話を交え、人生を概括した著者の解説も興味深い。

「人間がこれだけはと思い切ったことにしがみついていると、大体ものになるものだ」(山本周五郎)、「成長はまたつねに苦痛をともなう」(鈴木大拙)など心の糧となる生きた言葉に出合うことができる。

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「名言との対話」9月5日。棟方志功「わだばゴッホになる」

棟方 志功(むなかた しこう、1903年明治36年)9月5日 - 1975年昭和50年)9月13日)は日本人板画家青森県出身。20世紀美術を代表する世界的巨匠の一人。

世界中のあらゆる国際展で日本人が受賞するのは版画だけである。それは、油絵を西洋のものまねに過ぎないのではないか、日本独自のものは版画ではないか、あのごゴッホでさえ日本の版画に心酔していたではないか、と版画家を志した棟方志功と日本の勝利である。

棟方は版画を板画と書く。木の魂に彫るということなので、板という文字を使うほうがしっくりくるのだという。板の声を聞き、木の中にひそむ詩を掘り出すのである。

「一柵ずつ、一生の間、生涯の道標を一つずつ、そこへ置いていく。作品に願をかけておいていく、柵を打っていく。この柵はどこまでも、どこまでもつづいて行くことでしょう。際際無限に。」

「神よ、仏よ----全知全能させ給え。」

秋田県田沢湖芸術村に本拠を構える劇団わらび座のミュージカル公演の「棟方志功 炎じゃわめぐ」をみた。わらび座のテーマは常に東北を意識していて、ミュージカルとしての質の高さもあり、私はファンである。ニューヨークでのシーン、柳宗悦との出会いのシーンなど、とても良かった。

青森の棟方志功記念館の紹介ビデオは「彫る 棟方志功の世界」というもので1975年の作品だったから亡くなる直前のものである。人懐っこい笑顔の棟方が、ブツブツいいながら、そしてベートーベン(畳みかけるようなリズムは棟方の欲する板画の切り込みに通ずるという)の喜びの歌を歌いながら一心に彫っている。シャツ一枚が仕事着である。裸足で毎朝歩くのが唯一の健康法であり、そのユーモラスな歩く姿もみることができる。「神よ、仏よーー全知全能させ給え」と書いた棟方のライフワークに打ち込む気迫に感心したことを思い出す。棟方志功の迫力ある人物像と仕事振り、圧倒的な仕事量に強い印象を受けた。あの目、あの動き、あの笑顔!

人は目標とする人がいるかいないかは、決定的に重要である。目標に届かずに死ぬまでその道を歩き続ける人もいる。目標に近づくにつれて、それていくことになる人もいる。目標の向こうに、そしてそれた道の方向に見えるもの−−それは自分自身の姿である。棟方志功は「ゴッホにはならずに、世界のMunaktaになった。」この言葉は友人の草野心平が贈った詩の中にある。因みに、73歳で逝った志功の墓碑はゴッホと同じ形に作られているそうだ。人は何になるか?-----人は自分自身になっていくのである。